7月31日、「ホームレスの自立の支援等に関する基本方針」が厚生労働省、国土交通省から告示され、8月5日づけで都道府県知事、政令市市長、中核市市長に通知されました。全文は厚生労働省のホームページからPDFファイルで閲覧できます。
 これを受け、ホームレス支援全国ネットワークは8月25日、厚生労働省と国土交通省と来年度以降の施策拡充に向けた話し合いを持ち、実効性あるホームレス支援を継続してもらうよう要請しました。
 良くも悪くも、この新基本方針の元、時限立法「ホームレス自立支援法」の後半部分がスタートされました。

折り返し点に立ったホームレス支援
〜新基本方針を読んで〜
 

 あまりと言おうか、たいしてと言おうか、現状をただ追認しただけとも言える新基本方針の確定は、この国が抱えるホームレス問題の認識の程をそのまま反映したものとも言えるだろう。

 当初から指摘されていたよう、ホームレス自立支援法が概念化する「ホームレス」とは、野宿状態の人々の総称である事自体が、野宿状態からの脱却すら容易に進まない、この国の貧しき現状から出発したものである。それでも、法制定時の政治的な議論はこの現状をどうにかしたいと云う各界の思いが滲み出ており、野宿状態からの脱却のために社会は何を支援すべきかと云う強い思いが、この法律として奇跡的に結実化したのだと考える。新たな社会問題に対峙する勇気は役人には今も昔もなく、議員立法として結実化した事実もその当時のこう云う雰囲気を良く伝えている事実でもある。
 かくして、この国のホームレス対策の歴史が(今から考えると壮大なる実験と言うべき歴史が)政策としてようやく開始されたのである。そして、開始されたと同時に、その手段は政治の元を離れ役人の元に移行し、次第に骨抜きにされたとも言えるのではなかろうか。
 中央の役人と地方の役人の一定の合意がなければ、どのような美辞麗句で基本方針や実施計画を飾ろうとも、一歩も前には進まない。とどのつまり予算をどのように按分するかの話である。地方がやりたくとも、中央が「うん」と言わなければ成立せず、またその反対もしかり。それぞれの予算事情がぶつかり合えば、そうそうロクなものにならないのは必定。
 また、いくら総合的な対策と言おうとも、役人は、縦割り行政の、そのまた縦割りの部局の事業を掌握し、実施し、それぞれそれを単独に評価する。その積み重ねこそが総合なのだと考えているからである。そして、評価のポイントが低ければ、予算はバッサリと削り、評価のポイントが高くてもせいぜい現状維持である。新規事業は総額の予算の中のやりくりで決まり、見えやすい評価が必ず出る事業を好み、そうでないものは「検討します」の一言で闇に葬る。役人の満足度とは「それなりの事業を、それなりの評価が可能な事業を、細々とでも実施」している事であり、政治家から注文が来ても、(細々でも)実績があるから文句は言わせず、数字の羅列で煙に巻く。
 結局は、一度「、前例」を作ると、そこから一歩も外へと出ようとはしないのである。
 役人は、誰に評価されようとしているのだろうか?この答えは明確で、役所と云う組織に評価されようとその類いまれなる才能を発揮するのであり、施策受益者の側に立ってなんて云うのは、建前としてはあっても、実際はありえない。

 我々が、そして何よりも路上で呻吟している仲間達が求めて来たホームレス自立支援法とは、このようなものであったのであろうか?
 我々が求めて来たホームレス自立支援法とは単に現状を維持するだけのものだったのだろうか?

 こんな事を書くと、「ホームレス数は確実に減っている。これは行政の成果だ。それを評価しないとは何たる奴か」との反論が返って来る。しかし、厳密に幾ら投入した結果、何人が路上脱却したのか?脱却した要因は何だったのか?果たして行政の施策は全体としてどれだけの規定力、影響力があったのか?と云う議論はもちろんされない。「施策を打っているのだから減るのは当たり前じゃない?」「単なる景気のせいじゃない?」なんて云う反論も可能となり、結果的には何ごとも有耶無耶にされる。

 議員立法として成立した法律なので、役人にはこの法律に対する思い入れも、情熱もない、と云う判断は、この国の歪んだ構造を指し示しており、まさにその通りなのであろう。役所と云う組織が省益を賭け作り出して来たものには、役人は異常な程、執着を示す。もちろん担当者レベルにおいて温度差はあろうが、本気でこの法律の実現に熱意を見せた役人や役所は極く少数派であり、少数派であるが故に、いずれ組織の中に埋もれていく。

 法制化とはこういうものであると、我々はあまりにも知らなかった。しかし、法治国家の中での制度政策要求は、根拠法の有無でそのスケールは決まる。これもまた逆らいがたい事実である。
 もちろん、新基本方針の中で、我々は事業改善や施策の拡充を求める事になるが、この数年の歴史が物語っているよう、そして、上述した構造がある以上、ホームレス自立支援法が目指す「ホームレス問題の解決」、当事者が願う路上からの脱却への強い希望は、新基本方針の元おそらく達成しない事であろう。
 それを承知の上で新基本方針とつきあいながらも、新たな局面を切り開く「何か」を模索していかなければならない時でもある。さもなければ、自立支援法すらも時限立法故に解消され、国の責任も、地方自治体の責任も、何も問われない、それこそ役人が手を叩いて喜ぶような状況になりかねない。

 この国のあちこちの都市に、今や当たり前のようにありのままの野宿者がいる。まるで市民の中に溶け込んでしまったかのように。
 それを見ながら子供達は成長し、ホームレスを見続けて来た都会の子供達は今や大学生である。こんな未来の見えない都市に生まれ、希望の持てない社会を見せられ続けて来た子供達に、大人達は何を示して来れたのだろうか。己の非力さに息を飲む思いである。

(笠井和明)