第11次越年の取組みが無事終了しました。

越冬後段に向け連絡会は仲間の命を守り続けます。

 第11回目の新宿越年は雪の中でスタートと波乱の幕開けとなりましたが、二度にわたる大雪にもめげず、新宿中央公園ポケットパークを拠点に無事7日間の工程を乗り越えました。支えて下さりました全国の方々、どうもありがとうございました。

 今回の越年は26日、日曜日の炊き出し終了から中央公園泊まり込み体制を敷き、準備体制を万全に整えながらのスタートとなりました。3つのテントは28日までに全て仮設終了。29日、朝からの東京の初雪にもさほどあわてず突入することが出来ました。29日は炊き出し準備は中央公園等で行いましたが、夜まで降りしきる小雪で仲間の身体を冷してはいけないと、越年初の都庁下での炊き出しとなりました。400名近い仲間が集まり、雪の中駆けつけてくれた梅津和時さん一行のサックス演奏を聴きながらの配食です。昭和歌謡の音色にいつものざわめきも少なく、ほっとした雰囲気で越年の取組みが開始されました。
 この日から連日の夜間、深夜パトロール。そして24時間の医療テント体制を取り、炊き出し、娯楽、パトロール(情報提供、医療対応)、医療テント体制が連動した越年のいつもの流れに入り、それぞれの得意分野を生かした総合的な支援体制が瞬く間に出来上がりました。
 新宿においては、東京都の「地域生活移行支援事業」が04年後半から本格的に稼働し始め約300名近い仲間がアパートへの移行を済ませた事と、建設関係での日雇仕事が例年よりも出ている事もあり、今年の越年は仲間が殺到することもなく、炊き出しの実数も300-400名前後と落ち着いたものでした。支援冥利に尽きるとはこの事で、04年の必死の取組みの一つの成果として確認できるだろうと思います。全体数が落ち着きを見せた事もあり、医療テントも平均4-5名の収容で落ち着き、個別のきめ細かな対応が可能になり、また、パトロールでもじっくりとした話し込みが出来ました。全体的に減ったと云っても、新たに新宿に職を求めにくる仲間の数はやはり多く。炊き出しや福祉情報などを知らない仲間が西口地下等におり、そういう普段出会えない仲間への情報提供もまたパトロール隊の大きな仕事です。中央公園では寝場所のない仲間への宿泊体制(大テント)も取り、初めて新宿に来た仲間も含めて拠点での様々な仕事に従事します。山谷への飯炊き、中央公園でのおかず作り、物資の運搬、買い出し、会場の清掃、暖を取るための蒔き割など、故郷に帰れない男達がわきあいあいと自分のため、そして仲間のために作業をします。
 30日は好天に恵まれ、長野から仲間が種から育て漬けおいておいた野沢菜も到着。夕方からのCUPEさん一行の歌に酔いしれ、落ち着いた晩を過ごしましたが、一転して31日は昼過ぎから大雪。年末イベントがあるので中央公園決行を宣言し、雪かき器も登場し会場を奇麗にしていると、夕方から天気はようやく回復。熱血バンド五十嵐正史とソウルブラザーズも駆けつけてくれ、2004年最後の一晩に突入です。予定をはるかに越える人数のカラオケ大会でおおいに盛り上げ、紅白上映、年越し蕎麦の配食と酒を飲みのみ、しみじみと、そして晴れやかに新年を迎える事ができました。
 正月三が日は天気も落ち着き、のんびりとした雰囲気の正月となりました。2日は恒例の餅つき大会。山谷からの餅が到着すると仲間が代わる代わるに餅を付き、そして毎年来て下さる「さすらい姉妹」の路上劇に見入り、楽しい正月気分を満喫しました。
 そして、4日の朝、医療が必要な仲間が福祉事務所に合流。今年は命に関るような大きな病状の仲間は幸いにしていませんでしたが、多くの仲間が医療や福祉を獲得しました。同時に会場の撤収作業を手際よくやり、また、年明けの仕事のない仲間にはNPO新宿(無料職業紹介所)を通して、仕事や面接の斡旋も行い、それぞれの冬へと旅立って行きました。

 仲間の力で仲間の命を守る越冬の取組みは越年で終った訳ではありません。まだまだ厳しい冬が続きます。引き続きのご支援、ご協力をお願い致します。