第9次新宿越年のスケジュール

2002〜2003
新宿、池袋越年越冬闘争
支援連帯集会基調

新宿連絡会事務局
一、はじめに

 何ものかに仕掛けられた爆弾が中央公園で爆破し、テントで暮らしていた一人の仲間が腕と足をもがれ重体に陥った。一月十九日のことである。
 前越年闘争の目的を無事達成した直後に起った中央公園での一連の爆弾騒動と火事騒動、そして東村山市で起った少年による鈴木邦彦さん虐殺事件。二〇〇二年の路上の冬はこうした波乱の幕開けとなった。
 中央公園を狙った一連の事件は、今となってみれば我々の仲間を狙ったものなのかどうかは判らない。犯人は未だに検挙されてはいない。重体になった仲間は、明日への希望を夢みて病院内でのリハビリを続けている。緊張する公園内で火災を引き起こしてしまった仲間は中央公園から出たが、今も他所で野宿を続けている。鈴木さんを集団暴行虐殺した少年等は中学生四人のうち三人は保護処分決定を受け、初等少年院に送致されており、残り一人は児童相談所に通告された。高校生だった二人は現在裁判を受け、来年始めには結審される予定である。時が物事を風化させるよう、これらの事件はあまり人から顧みられない昔話になりつつある。
 だが、殺された鈴木さんは返らず、爆弾で被害にあった仲間の腕や足も返らない。そして今も野宿の仲間が被害にあう事件や事故は人知れず起っており、熊谷で、名古屋で鈴木さんと同じよう仲間が少年等に殺され続けている。
 ホームレスという存在が当たり前のようになった二〇〇二年。そのホームレスが被害にあうような事件や事故も当たり前のようになりつつある時代。この不幸な時代に何故、この国が施策上の受益者としての「ホームレス」を認めないのか?何故、この国がホームレスを放置するのではなく、路上から脱却するための施策を行わないのか?
 我々の一年は、現象への怒りや対処に留まらず、その本質を問うて来た一年であった。
 結果、「ホームレスや貧者に対して何も変りはしない世の中を、自分等の力でちょっとでも変える」「排除を続けて来た社会にちょっとでもやり返す」そして「生きる希望を自らの手で確認して行く」、そんな路上の夢が、まだまだ蕾ながらも、もしかしたら咲くのかも知れないと確信できる一年でもあった。
 我々は「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」(以下「自立支援法」)を全国の仲間との共闘の力で今年ようやく獲得した。

 かつて、絶望の渕にあった新宿路上、全都の路上。九年来の新宿を中心とした仲間のたたかいによって社会が路上に近づきつつある。

 新宿の路上で、東京の地で不幸にも亡くなった幾百、幾千名の貧しき仲間に、我々は、ようやくそう報告できるようになった。たたかうと云う行為だけをもって自己確認をしているだけではない。我々は渾身の力でたたかって、一つ一つの成果を路上に確実に刻み続けている。その細き流れは、今や大きな濁流に変りつつある。
 生きてさえいれば夢も見れる。苦しみからの解放はあの世ではなくこの世にあると希望ももてる。
 新宿の貧者から発せられた声が、ここまで至った地平を確認し、そしてその地平をしっかりと固め、次なる展望をより具体的に描いて行こう。その流れの果てにしか死者との再会や喜びはないのだから。

二、本年の諸活動の成果と反省、そして課題

1、対策の拡充、拡大を求める東京都、特別区とのたたかい

 周知の通り、昨年、我々との攻防の結果、東京都福祉局は「東京のホームレス」(ホームレス白書)を発表し、ステップアップ方式の自立支援事業体系を確立した。そして、現在、緊急一時保護センター・大田寮、自立支援センター、新宿寮、台東寮、豊島寮、墨田寮が通年開所されている。
 我々は、昨年一二月に開設された緊急一時保護センター・大田寮が、このステップアップ方式の成否を握ると判断し、大田寮への面会行動、工作活動を即座に手がけ「緊急一時保護センター・大田寮の改善を求める寮生有志」の名で三月一二日寮長との交渉を実現し設備備品等の改善を勝ち取った事を皮切りに、以降、情報伝達のためのチラシ入れを継続して行い、ひと月から二月という短期収容である施設の性格による困難さを突破し、次々と工作員を引き継ぎながら寮生の孤立化を防ぎ、また寮生と管理法人の間に入るなどし、次の目標に向って安心して過ごせる施設の内実を作り続けてきた。この寮生によるたたかいに呼応し、三月一四、一五日、新宿連絡会、池袋連絡会、寮生有志の連名で、東京都福祉局、特人厚、運営協議会へ、システム全体の見直しを求める「要望書」を提出、昨年来の都庁前の大衆行動を引き継ぎながら、代表団による春の交渉過程に入り、五・一メーデー(全都四百名結集)時の代表交渉を頂点とする対策の拡充、拡大を求めるたたかいを展開した。
 我々は利用者が不安を感じず利用しやすい施設、ステップアップの仕方についても、当人の意思や能力とマッチしたステップアップを図るべきと主張し、機械的な相談をもとにする処遇決定を批判し、全体の計画事業を早期に行うのは前提としても、箱物の設置にしか目がいかない都区行政に対し、ソフト面の充実の視点を注入して来た。また、各区の温度差により「要綱」「細目」が事実上反故にされ、生活保護行政と自立支援事業の「分離」が、なし崩し的に「一体」となり、その結果が自立支援センターに跳ね返り、かつ生活保護行政の後退につながっている事実を暴露し、効果ある施策の実施を強く求める行動を行って来た。具体的に改善されたのは、自立支援センターから都営住宅を今年度二〇戸確保させるに留まったが、我々が声をあげ続ける事により、なし崩し的な「自立支援事業の変質」は回避されたと考えられる。
 また、今年新規に開設された自立支援センター・墨田寮は、管理法人等の不慣れによる様々な混乱が呈して来たのだが、それに対しても寮生と共に七月、八月と、東京都、特人厚、運営協議会への「意見書」「申し入れ書」を提出、寮生と共に交渉を続けた結果、様々な混乱は一定解消される成果をもぎ取った。

 新宿連絡会が大田寮に毎週のよう面会、チラシ入れに赴く結果、我々の団結は新宿地区や豊島区地区に留まらず、二三区の仲間を対象に入れる事が出来、新たに我々の主張に大義を感じる仲間が増え、その結果、新宿、池袋地区の仲間が対象ではない墨田寮の改善にまで着手できた事は、我々の組織の広がりという点では大きな前進である。他方、行政サイドの視点は今や制度上の点検の問題にまで発展し、「ステップアップ方式」の是非にまで議論が進んでいる。すなわち、「ホームレス白書」による「机上の論理」は実地において破綻をし混乱をし続けている、と言ってよいだろう。寮生を孤立させず、常に我々の隊列の中と見なし、共にたたかい、共に様々な矛盾を突き、改善の烽火をあげ、要求行動を起すという我々のスタイルは、東京都の「ステップアップ方式による自立支援事業」体系全体の問題にと至り、思わぬ「混乱」を現在、都区に強いている事となる。もちろん、それらの矛盾を寮生に転嫁させる事なく寮生と共に寮内改善の取り組みをたたかい続けるのはもちろんのこと、ソフト面にようやく本腰をあげて目を向けるようになった都区行政の姿勢を今一度、整理させて行く必要があるだろう。
 これまでの我々のスタンスは、全ての施設整備が完了してからステップアップ方式についての体系的な議論を始めて行こうというスタンスであった。が、たたかわずして相手が瓦解している今日、そんな猶予はない。国の自立支援法に基づく基本方針策定を転換点に見据え、より仲間にとって使い易くかつ効果的な東京における自立支援システムをこちらの方から提案して行く必要があるだろう。その中で、我々の元来の主張である「多様な選択肢を持った、らせん状のステップアップ方式による自立支援事業」「通所型自立支援事業の導入」「自立支援事業における就労支援の強化」をどこまで組み入れられるのかが、今後の大きな課題である。
 
 他方、新宿区に対しては、七月、自立支援の改善および新宿の独自対策を求める「要望書」を提出し、以降、生活保護の適正な運用の議題をも含めた交渉を年間通して続けて来た。また、小野田区長の突然の辞任を受けた一一月の区長選に対して「公開質問状」を各候補者に提出し、対策姿勢のブレが生じないような働きかけも続けて来た。
 東京都は長年続けて来た冬期臨時宿泊事業の打ちきりを発表し、「なぎさ寮」「さくら寮」の廃止を早い段階で決定していたが、我々は冬期臨時宿泊事業が新宿対策として使用されていた経緯を考慮し新宿区独自枠の復活を強く要望した結果、昨年より多い越冬期間中トータル五二四名分の宿泊場所を確保させることに成功した。二週間から三週間と云う短期宿泊援護事業でしかないものの、冬場に必要不可欠な仲間にとってのシェルター代わりになるもので、我々は仲間の命を守る立場から、多少の自立支援事業の後退には目をつむって新宿独自枠の確保を目指した。東京都は「机上の論理」の原則論(通年施設開所しているから冬場の特別な措置は必要ない)を採用したが、我々は冬場の仲間の命優先の立場、仲間の命と健康を守り切れなければ自立支援もない、と云う立場を選択し、貫き通しその立場に新宿区も巻き込む事に成功したのである。
 
 これら、都区に対する対策上のたたかいは、臨機応変にかつ、より幅広く行われ、一定の成果をそれぞれでもぎとって来た。課題は残るものの、路上と各施設は決して分断されず、それぞれのやり方で仲間と共に精一杯たたかい抜き、最低限の個々の成果を勝ち取って来たと総括できるだろう。
 
2、「自立支援法」制定を求める国会に対するたたかい

 昨年来の積み残し課題であった自立支援法を制定させるたたかいは、今年の最大のメインテーマであった。そのため、通常国会開会にあわせ、一月二一日から一週間連日の第五次キャンペーンを展開、以降、二月、三月と雪の日も、雨の日も、国会前での座り込み、チラシ撒き、国会前集会等を多くの仲間の結集のもと連続して続けて来た。また、一月二九日の民主党代表団による戸山公園の視察のセッテング、与党三党ワーキングチームへの要望、ロビー活動なども精力的に展開、そんな中で東京都議会や日弁連なども法制化を求める意見書を国会に提出するなど外堀も次第に埋まり、時機が熟した四月、大阪釜ヶ崎反失連など全国六自治体の仲間、総勢二五〇が結集し、国会への大々的な請願デモを取り行い、法制化の流れを仲間の力で決定的なものにしてきた。そして、国会終盤の七月一七日、衆議院厚生労働委員会で全会派一致で「自立支援法」が通過、翌、一八日、衆議院本会議で同じく全会派一致で可決、そして国会議員の方々の尽力もあり、国会最終日三一日、参議院厚生労働委員会に滑り込ませる事が出来、かつその日の本会議で可決されると云う劇的な制定過程で、念願の法制定がようやく実った。
 この七月の最終局面においても、委員会、本会議の傍聴、院内集会、座り込みなど、全国の仲間と共にあらゆる大衆行動戦術を駆使して来た。また国会議員への働きかけも最後の最後まで諦めずに行い、最後の最後に法律をもぎ取ったのである。
 全国の仲間が自らの力で勝ち取った法律、これが「自立支援法」である。
 
 そして、だからこそ、この法律を仲間のために実際に活かしていこうと、九月、一二月と厚生労働省、国土交通省などとの全国の仲間の代表団による交渉が続けられ、一二月の行動では一二〇名の仲間が初めて厚生労働省前に座り込み、二時間半にわたる大交渉の末、補正予算の中から「ホームレス緊急援護事業」や「シェルター事業の前倒」「緊急地域雇用創出交付金の上積み」など、基本方針が出るまでの間のつなぎ施策を前向きな姿勢で国にやらせていく事に成功した。
 来年二月には法に基づく実態調査が全国で行われ、ようやく自立支援法がより具体的に動き出して行く。仲間が黙っていたら適当な対策でお茶を濁されるかも知れない。全国の仲間が法に基づく施策を国や各自治体に訴え続ける事が重要であり、それに向けた全国潮流は確実に法制定運動の中で育って来た。
 
 法律の内容も、民主党案をベースにしたもので、誰がどう読んだとしても、ホームレス自立支援法は、野宿を余儀なくされた仲間の人権尊重を前提に、安定した雇用の場や住居の確保などの自立支援策と予防策を実施すべき責務を国及び地方自治体に課したものであり、全体として、野宿者サイドの歴史的な要望、主張を多く盛り込んだものである。第一一条の適正化項目についても、野放図な適正化を諌め自立支援策との連携を義務付け、また、厚生労働委員会決議においても「強制立ち退きを禁止する」等の人権に関する国際約束の趣旨に充分に配慮することとの一定の歯止めも明文化させた。

 他方、我々の路線論争の相手である「法律反対派」「慎重派」は、法制定過程では何の具体的な動きも出来ず「口先だけの反対」であることを仲間の前に暴露した。路上の仲間のニーズから遊離し、切実な仲間の声を聞こうとしない団体はこれからもかような態度を取り続けるとは思うが、今後、我々は法そのものの学者的な評価にとらわれず、自立支援法に基づく就労支援の強化、福祉施策の強化、住宅施策の強化、予防策の実施を求めようとする人々との共闘関係はより広く作り出して行くつもりである。運動スタンスを持たない支援団体にとってみれば、大きな政治課題であった法制定は酷で判断不能状態になりがちな課題であったとは思うが、今後は、対策の内実も含め各自治体との攻防局面に移って来る。より対策が具体化して来た段階において「口先だけの反対」をする人々はそう多くはないであろう。我々は運動の間口を大きくしながら、今後の展望を全国の仲間と共に紡ぎだして行きたい。

3、仲間の命と生活拠点を守るたたかい(日常活動)

 要求課題をめぐってかくなる大激戦を一年を通して行って来た連絡会であるが、大きな課題を掲げたたかうにあたっても、足元がぐらついていたのでは何も出来はしない。
 その点、我々は、昨年に引き続き路上における基礎活動をとにかく原則的に通年実施して来た。仲間の命と生活拠点を守るたたかいは、微動だにしていない。
 毎週日曜日の炊出しを、山谷労働者福祉会館やサイドバイサイドインターナショナル(ファミリー)の協力を得ながら共に、毎週六〇〇〜八〇〇食を提供を続け、また、新宿夏まつりは、今年も雨にたたられはしたものの、どうにか開催する等、中央公園を仲間の団結拠点として維持する事が出来た。
 また、仲間の健康を守ると共に、病苦の仲間や高齢の仲間を生活保護へとつなげて行く医療相談会は中央公園で毎月一回の開催と同時に、昨年に引き続き戸山公園でも毎月実施する事が出来、医療従事者ボランティアと仲間のつながりも強固になっている。健康に対する意識は流動層が多い新宿ではなかなか定着しないものであるが、回りの仲間や、古い仲間が支えて行く構造は新宿ならではの強みである。無論、それでも路上死がなくなる事はなく、今年も中央公園と戸山公園で、各一名が病気で亡くなり、また、駅周辺でも数名の仲間が路上死を遂げ、また救急搬送先で亡くなった仲間、大田寮内で倒れて亡くなった仲間もいた。路上の医療体制がいかに充実しようとも根本問題を放置したままでは避けられない事態である。けれども、一人ひとりが生きる希望を持ち、健康に対する意識を持ち、仲間が仲間を支えあう関係をもっと作っていくならば、路上での不幸な死はもっと減らして行く事は可能であると私達は信じている。
 毎週月曜日の福祉行動も欠かさず行ない、生活保護の申請を支え、時には相談員とやりあい、福祉事務所の姿勢を糾しながら、数多くの仲間の福祉申請の手助けをして来た。
 病院面会がなかなか体制的には強化されないものの、今年は昨年以上に行ない、退院後のホローなどをきめ細かく行なって来た。
 福祉相談やその他の各種相談を受ける、救急対応をする、あるいは正確な情報提供をするなどの目的をもったパトロールも、夜、昼問わず、新宿地域(駅、中央公園、高田馬場地域)で週三本のパトロールを年間通して実施して来た。
 また、戸山公園での特別清掃の立ちあい、新宿区役所の各種寮入寮抽選の立ちあい、街頭相談会の立ちあいと協力もその都度行って来た。
 
 また、本年は昨年の自立生活サポートセンター・舫(もやい)を発足に続き、特定非営利活動法人新宿ホームレス支援機構(NPO新宿)を、野宿者・人権資料センターの仲間と共に発足させた。野宿経験を持つ当事者による当事者の就労支援と啓発啓蒙活動ためのNPO団体として、来年以降、具体的な動きを開始して行く予定である。
 
 これらの仲間の命を守り、生活拠点を守る独自のたたかいの強化は連絡会活動の基本中の基本である。路上の防衛戦を築かない限り、自立支援策もヘチマもなくなってしまう事を肝に命じ、今後も原点に常に返りながら各種活動を強化しつづけていきたい。
 また、啓発啓蒙、そして全国の支援者に応える活動として、新宿&池袋 連絡会NEWSの定期発行、発送を今年も確実にやりきり、また、昨年リニューアルさせた連絡会ホームページをほぼ毎週更新し続け、各種東京の路上情報を全国に伝達し、メールマガジンも通年的に発行させて来た。これらの活動により、多くの心あるボランティアの方々が新宿、池袋の現地に集まるきっかけを作り、また、全国からのカンパ金、カンパ物資も通年的に滞ることなく送られて来た。社会とのつながりこそが我々の活動を孤立化させない唯一の手段である。緑フォーラム、日本ボランティア会など支援共闘関係の各団体、そしてボランティア諸氏、全国の支援者にこの場を借りて謝意を表していきたい。

4、池袋連絡会の取り組みについて

 池袋地区においては、仲間の組織、池袋連絡会を中心に、「いけとも」の支援者と共に通年的な炊出し(月2回)、福祉行動、パトロールを原則的に行って来た。
 また、ワールドカップにかこつけた池袋駅周辺の環境整備工事に対し、公園課等との申し入れ、交渉を連続して行い、仲間の自発的な力で排除圧力をかわしながら、それぞれ公園内の移転というレベルで事を治めて来た。

 池袋連絡会の組織的な課題、豊島福祉の体質が一向に変わらない等の対行政的な課題は残るものの、議論が未実施のため、その点については省略する。

付記、一・二四裁判の最高裁不当決定について

 九六年一月二四日、東京都建設局による新宿駅西口地下通路の強制排除事件で逮捕、起訴された連絡会メンバー二名の上告審が九月三〇日、結審した。上告は棄却で二審の東京高裁の有罪判決(執行猶予付)が確定した事になる。
 一審、無罪、二審、有罪と判断が真っ二つに別れた裁判となったが、最高裁は一度も法廷を開くことなく、書面審査だけで二審を支持した。争点は、東京都の強制排除行為が合法であったのかそれとも、違法であったのかだが、裁判の結果、合法であると法的に決着した事となる。が、それで喜ぶ者はもはや東京都の中には一人もいないだろう。一・二四事件の社会的反響で東京都の側も大打撃を受け、その後の路線転換を余儀なくされた。青島も知事のイスを放りなげた。自立支援事業を全国に先駆け実施せざるを得なくなった。そして、就労などの自立支援を国の責務とした法律まで出来上がった。
 「強制排除は間違いであった」、このことは今や誰の目にも明らかである。
 裁判には負けた。が、東京都には勝った。このことを我々は高らかに確認し六年半におよぶ長き裁判闘争を終結させた事を付記しておきたい。もちろん、我々はいかなる弾圧にも屈せずこれからもたたかい続けるのは言うまでもない。

三、今後の課題

 来年以降の課題は、本年獲得して来た制度上の成果を更に踏み固め、「仲間のための法律」と、仲間が路上の現場において実感できるような施策を具体的に獲得して行くことである。
 
 そのためにまず、ホームレス自立支援法にもとづく実態調査を早期に実施させ、国の基本方針を早急に確立させて行くことである。国の実態調査に協力することによって、路上の仲間のニーズを確実に国に集約させて行く事はもちろんであるが、昨年連絡会が行ったよう独自の概数調査、分析も必要であり、その事をも同時に進め、公表しながら、国の基本方針に対する路上からの要望、交渉も、全国の仲間と共に続けて行く事である。そして、同時に東京都レベルでの攻防も先の観点から更に強化させて行く必要がある。

 国の基本方針、さ来年度の概算要求、そして東京都の対策の拡大拡充での大きな注目点は就労支援策、住宅確保支援策、そして予防策がどの程度の規模、施策となるかである。先の交渉でも明らかな通り、厚生労働省は「公的就労はやらない」との立場を一貫して崩していない。つまり、かつてのような失業対策事業は国の負担が重すぎると云う事である。ならば、どのような就労支援が可能であり、効果をあげる事が出来るのか?このことへの回答を我々の側から出していかない限り、交渉も煮詰まってしまうだろう。
 東京においても、日雇労働者対策(主要には山谷対策)枠の特別就労対策事業はあるものの、その量の拡大を目指したとしても就労自立して行くには十分ではないし、枠そのものが限定されている問題がある(本質的にこれらの就労対策は簡易宿泊所やアパートに宿泊している日雇労働者に対する野宿予防策、補助収入のための就労としての役割を重視すべきであろう)。
 問題は就労(もしくは半就労)と自立過程をどのように結びつけて行くのであるが、その回答はどこも出してはいないし現行の自立支援センターのままでは限界がある。
 ただし、自立支援事業の考え方(制度設計の仕方)はある意味まともな考え方であり、これを踏襲すべきであることは明らかである。問題なのは、現行の自立支援事業が硬直し、ソフト面の充実が図られていない点にあるのではなかろうか。
 我々は新宿区に対し、「就労支援センター」を区内に設置しろという要求を本年初めて出した。この要求はあまり注目もされなかったものの、我々としては自立支援事業を相対的に強化させる方向性を示したつもりである。公的就労問題を除いたとしても、現行の自立支援事業は客観的に見ても、あまりに徹底していない。就労準備過程、就労意欲の喚起という点においても不徹底であり、自立支援センターでの就労相談員は、その知識しか伝える事が出来ず、就労支援に使える社会資源は限られているどころか、ほとんどない。結果、ハローワークでの就労を後押しするだけの支援に限定され、「エリート層支援」の自立支援センターに成り下がっている。
 路上において、就労意欲を喚起し、就労のための各種情報をどこまで提供できているのか?そういう議論もない。福祉相談員のアウトリーチは必要であるが、他方、就労相談員のアウトリーチなど誰も考えてはいない。これらは、大田寮段階においても同様である。路上の仲間の就労意欲の喚起の一番は、同じ仲間がどのようにして自立出来たのかというノウハウなのであろうが、その事すら行政は広く宣伝もしないし、情報も提供しない。
 施設も大事だが、何も施設に入らなくとも、たとえば公園の一角や駅に就労のための駆け込み寺のような「就労支援センター」があっても良いし、スキルアップのための講座や技能講習会があってもよい。箱ものの中に支援策を限定しようとする発想が社会に根強くあるからこそ自立支援策が発展しないのである。現行の自立支援センターを批判するのはたやすい事であるが、我々は単に批判するだけに留まらず、どうしたらより有効に改善できるのかを常に考え、それを着実に実現させていかなければならない。その場合、自立支援事業という概念から考えていかねばならないし、その中でも、就労自立の支援がどうあるべきかをかなり特化して研究、提案していかねばならないだろうし、また、民間活用部分に関して責任あるポジションに立つ必要がある。
 これらの件について、今単純な方針はどこにもなく、まさに今後の重要な課題として議論を開始し、方針を紡ぎだして行かねばならない。
 住宅確保策、予防策についても同様である。
 
 当然の事ながら、我々はこれらの課題を実現させて行く上で今まで以上の大衆運動路線、そして全国陣形を堅持して行かねばならない。そして我が陣形の中に形成したNPOなどの受け皿をも徹底して活用する新たな路線を獲得して行く必要がある。そして、もちろんのこと路上の命と生活拠点の防衛はこれらの絶対的な生命線であることも何度でも繰り返し確認し、実践し尽す必要がある。

四、本越年、越冬闘争の位置

 越年越冬闘争の原点は言うまでもなく「仲間の命を仲間の力で守りぬく」ことにある。「守りぬく」方法は様々であり、これはなにも医療活動などに限定されるものではもちろんない。生活保護や冬期臨時宿泊、緊急一時保護センター、自立支援センターなど既存の施策につなげたり、利用していく方法はもちろんのこと、仲間のつながりを更に強固にしながら、互いに支えあう関係を作り出すことも仲間の命を守りぬく方法である。運動方針を明確にし仲間に将来の希望をつかみ出そうと呼びかけ運動を作り出す方法、また、娯楽や文化活動もまた同じくである。冬という季節をいかに仲間を孤立させず、また消耗させず、また絶望させずに、運動が全体として前に進むか、この事が結果、仲間の命を仲間の力で守る方法となる。
 
 越冬期は、前段、越年期、後段と簡単に区分できる。私達はすでに前段において、医療相談の強化、パトロールの冬期見直しと強化、毛布の配付、冬の対策一覧の情報提供などを行なってきている。
 本年は私達の要求運動の成果として、原則二週間宿泊(一二月入所は三週間)の厳冬期対応宿泊事業が開始されている。この事業は新宿区役所で毎週木曜日、三〇名から四〇名の規模で抽選入所を行っている。
 もちろん、越年期はこれら行政施策、生活保護行政が閉じる関係上、私達独自での取り組みが中心となるが、越年明け早々から、厳冬期対策施設の緊急避難的な使い方を積極的に仲間によびかけていきたい。

 そして、冬は仲間が流動する季節でもある。新しい仲間との交流、関係作りを積極的に行ない、冬場、仲間が生きる術を仲間と共に共有し、また実践として示しながら、共に生きる希望を見い出す私達の事業への主体的な参加を促して行きたい。
 
 越年期の班体制などについては、昨年を継承して行なう。我々は、本年も運動力量を無視した冒険はしないし、パトロール体制も昨年よりもより原則的な範囲における体制を取る。
 他団体との連携も、山谷労働者福祉会館とのこれまでの炊出し等における関係を維持し、共に作業をし、全都の仲間が共に年を越す仲間のたたかいの一貫として新宿越年をたたかう。
 例年に準じた通常の取り組みの他、十二月から開設されている緊急一時保護センター・大田寮の面会激励行動を越年中に池袋の仲間と共に取り組む。
(詳細については、スケジュール表などを参照)

 また、越冬後段については先に述べたよう、活用範囲が広がった行政施策、生活保護の利用をよびかけながら、路上に残らざるを得ない仲間への、とりわけ、雪、雨時の緊急対応(臨時パトロール)などを集中して行なうと共に、医療相談、福祉行動などの日常活動を強化し、もっとも過酷な厳冬期を乗り越えて行きたい。

五、まとめ

 我々は何があろうと揺るぎはしない盤石な基盤を仲間と共に形成して来た。そして、現状に決して満足しない貪欲な社会性もなりふり構わず獲得して来た。
 今後の自立支援法の十年は、これまでの連絡会の十年を確実に試して行くことだろう。そこでは「たたかっていれば良い」と云う甘えは許されない。何をたたかい、何を獲得し、どのような成果であったのかが、全ての基準である。過酷さと云う意味では、これまでの十年よりも、今後の十年の方がより過酷なたたかいであるだろう。が、我々には十年かけて築いて来た路上の財産がある。この路上の力をもってすれば、今後いかなる事があろうとも、それは必ず乗り越えられる。

 我々は仲間と共に路上から明日を見上げ続ける事であろう。