新しくもあり、古くもある下層

           笠井和明


はじめに

 九十年代初頭より急激に数を延ばした野宿者の現状は、二千年代へと突入する今日においてさえ野宿に至る人々を急増させ、また、路上の困窮の先に亡くなる人々を増やしている。
問題の根幹は何だ?労働の問題か?福祉の問題か?住宅の問題か?社会保障の問題か?個人の資質の問題か?
 野宿者は誰だ?「寄せ場」の労働者か?建設労働者か?サービス業労働者か?
中央省庁、地方自治体、学者、マスコミ、有識者、支援団体などを交えそこから様々な議論が今ようやく起き始めている。その議論の視点は論者の立場の違いなどを根拠に多種多様にあり、一朝一夕にはまとまりそうにない。まさにピーチクパーチク状態であり、何らかの施策を打とうとしている行政もその渦中の中、右往左往している感もある。この種の議論というのは傍目から見ているとおもしろいのであるが、まあ、勝手にやってよと突き放したくなる人々の主張もある。路上の立場からすれば正直言って疲れるのである。
 私は野宿者の実相を説明、解釈する場合、最近「不幸」という表現をよく使っている。私が出会い語り合った多くの野宿者の内、野宿に至って「幸せ」だと感じている人は一人もいないが故の表現である。もちろん、野宿という現状が本質的に「不幸」ではなく、様々な社会からの転落の要因を抱えながら、それを未然に防げなかった在り方そのものが「不幸」だと思うのである。
 我々が考えなければならないのは、これらの「不幸」を量産しているのは、まぎれもなく、我々が構成する社会の問題であるという点である。すなわち、他者の「不幸」に無関心であり、政治も経済も社会の底辺で生きる人々の諸問題に冷淡でまた、我々一人ひとりの社会意識もそれらの人々の存在に無関心であり続けた結果として今日の現象があるということである。
 問題の根幹は何か?そんな事知らなくって、現に野宿者がいるのだから運動や取り組みは出来るのである。逆に言えば知らない方がよりよく楽しい。そもそも、社会問題の原因などというのは常に複合的である。とりわけ貧困問題の場合は尚更である。何故かと言えば人の人生だからである。路上の立場から言えるのは唯、それだけ。
 「不幸」なる野宿者はこの国の激動期において常に大量に排出されて来た。私はかつて、その種の歴史的なにわか研究をして、にわか論文(「底辺下層に組み込まれた労働者がたどる最下層の還流点」)として、私達(新宿連絡会)の通信(ダンボール村通信7号〜最終号)に掲載して来たが、そこで認識したのは他人の「不幸」や「貧困」に対する民衆の差別と蔑視、そして都市景観や都市開発という名による国家・行政からする排除・隔離であり続けた歴史である。別の言い方をすれば、一般化という社会の限りなく恐ろしいパワーである。
 それを貧困層から突き破る力が今、求められていると思う。だから「問題の根源」を探り、どうすれば「野宿者を解消・解決出来るか」などとという議論などと、私は心底付き合うつもりはない。この運動の視点は「不幸」な人々が「幸せ」を取り戻す過程としてだけの運動であり、それを私は「仲間と共に」進めたいだけだからである。 

ホームレス運動について、

 さて、はじめに、私達、路上に拘る活動屋がどのような視点で、どのような運動を進めようとしているのかを明確にしていきたい。私達の運動はホームレス運動という路上に困窮し放置されて来た仲間達による運動として出発した。詳しくは拙書「新宿ホームレス奮戦記」(現代企画室)を参照にされたし。感傷的にではなく、ある程度論理的に書けばこの運動の定義めいたものは以下の通りとなる。

 ホームレス運動の目的は、社会から「路上生活者」をなくすことでも、路上から「不法占拠」を解消することでもない。ホームレス運動の目的は、今現に野宿を余儀なくされている人々、また、今後、野宿を余儀なくされそうとなっている人々、この社会の底辺部に位置する人々の階層全体の諸権利(主要には生存権)獲得こそが目的であるべきである。そして、その運動の在り方は、あくまでも「野宿の仲間(貧困層の仲間)と共に!」である。何故なら、野宿を余儀なくされる不利益に抗するたたかいは、野宿者が現状を打破するたたかいであり、極めて野宿者(貧困層)の問題であるからである。多くの野宿者、そして貧困層が参加し得ないホームレス運動というのはあり得ないし形容矛盾である。古い言い回しを使えば、ホームレスのホームレスによるホームレスのための運動が、ホームレス運動というものであるのだから。
 ホームレス運動は全て「野宿者(貧困層)の利益」を基準とし、その成果は全て「野宿者(貧困層)の利益」に還元される。

 運動が組織すべきは「仲間」である。社会学者や行政のように誰が「路上生活者」で誰が「路上生活者」ではないかと言う概念規定は、運動においてはさしたる意味をなさない。
 寄せ場が「掃溜」であったように、路上もまた「掃溜」である。すなわち、そこには、一つの価値観で括れるような簡単な概念などどこにも落ちてはいないのである。そこにおける唯一の武器は共同体であり、「仲間」であった、それは昔も今なんら変わりはない。寝床があろうがなかろうが、仕事があろうがなかろうが、山谷の「仲間」は山谷の「仲間」であり、新宿の「仲間」は新宿の「仲間」である。厳格さを望む人々は、こういう曖昧な点から出発してはならないと思うだろうが、実際の運動なんていうものは、概念が曖昧だろうが、なんだろうが出発したら転んでしまうものである。
 寄せ場にいようが、路上にいようが、「仲間」は「仲間」である。日雇仕事をしていようが、雑業仕事をしていようが、まったく仕事が出来てなかろうが、また、福祉を取ろうが取るまいが、共に運動を進めようとする私達にとって、それは「下層の仲間達」である。ケタオチ飯場があれば、そこに働いていようがいまいが「仲間」は怒る。土方仕事の経験のない「仲間」でも義憤を感じ押しかける。
 下層労働者はカメレオンのような存在である。日雇仕事がある時は日雇労働者となり、ドヤやサウナや安アパートで体を休める。日雇仕事がない時は、野宿者となり、雑業などで糧を得ながら路上で寝起きする。こういう環境の中にいて、誰が日雇労働者と野宿者を区別するのだろうか?学者や行政は区別したがるが、「仲間」にとって、こういう区別は分断でしかない。

 ホームレス運動とは、路上に生き、もしくは生きてきた「仲間」の運動であり、貧困層の最底部の現状を変革する「仲間」の運動であり、「仲間」だと思った者同士がその生活全般を変えていくための運動である。それは反失業などという狭い一つの概念に括られる事のない、もっともオールマイティな、なんでもありのアバウトな運動であるべきである。
 この運動がまず組織すべき対象は最も厳しい状況を強いられている野宿者であることは間違いないが、そこで、政府の三類型ではないが、「良いホームレス」「保護すべきホームレス」「悪いホームレス」なる価値基準をもった分断を野宿者層の中にもちこんじゃまずい。一部の運動団体の中には、野宿者の受動的な態度やマナーの悪さを云々する人々もいるけれども、運動の観点、とりわけ組織化の観点、および置かれている社会的状況の分析を抜きにした、これら客観的な評価は、結局は「良いホームレス」、反面の「悪いホームレス」を運動の側が作り出して行くだけである。就労可能な「良いホームレス」だけに仕事が与えられれば良いのであろうか?これら一部の「良いホームレス」だけを組織し、その要求を実現していれば良いのであろうか?それはまったく違うと考える。ホームレス運動がまず組織すべき対象は野宿者全般であるべきであり、限りない広がりの質を運動がもつ事が必要である。ホームレス運動の目的が野宿者層そして貧困層全般の権利獲得である以上、階層分断を無闇に広げる事は戒めるべきであろう。窮乏の度合いという基準をあてても、すべての窮乏に対応できない「仲間」の運動というのは無価値である。ある程度余裕のある仲間が一番厳しい仲間を支えながら、その仲間の権利獲得を実現することが、階層全体の利益になるような関係を作りだしていかなければならない事は言うまでもない。これが世に言う「仲間意識」というものである。余裕のある仲間だけがさっさと先に行ってしまったら、結局弱い仲間を切り捨てるだけの結果しか待ち受けていない。精神的にも肉体的にもズタボロになった仲間を支えられないホームレス運動では困るのである。それはボランティアや福祉の仕事ではないかと突き放した分業的な見方もあるが、それはないだろう。野宿者自らの役割として、弱い仲間の立場に立ち、共に歩んで行く事。自分だけ良ければ良いという個人思想を実践的に克服していく方途を運動が作らずに、仲間を組織することなど出来はしない。実際にそういうすばらしい仲間関係は自然発生的に作られており、そこに着目できないようでは仕方があるまい。
 いうなればホームレス運動というのは「何でも屋」である。様々に分化した野宿者層や貧困層のありとあらゆるニーズに運動的に対応するだけの幅をもたなければならないと思う。その幅こそが、この運動の豊さと可能性を保障する。もちろん、それは細分化された活動の総体がホームレス運動であると同時に、共通する諸課題にたいする波状的な大衆的なたたかいを基礎に団結を深め、組織を深め、自前の力量を蓄え、細分化された活動に生かして行くという循環構造の中にある。もちろん、領域的な部分、分業的な部分があったとしても、それだけが突出することなく、全体の運動的調和の中に位置している事が理想である。
 そして、目的を具体的にもつこともまた運動をやる上で必要である。ホームレス運動の当座の目的をもう少し細分化してみると、三つの目的が具体的に現れる。もちろんこれには境界線はなくそれぞれが三位一体的に連動しながら、全体として層的権利を獲得していく関係にある。
 第一義には、いうまでもなく仲間の命の防衛である。絶対的な貧困の防衛線を路上に引くこと、仲間が殺されない条件を獲得して行くこと、路上に生きる条件を作り出すこと。これを福祉、医療、炊き出しという分野だけの問題としてではなく、様々な仲間の力を発揮させ運動として明確に目的化する事は、なんと言っても必要である。
 第二には、第一の目的にも連動するが、「不法占拠」状態を維持、発展させて行くことである。これは何も撤去反対だけの問題ではなく、路上の拠点、コミュニティを仲間の力で築き、生活全般を最低限防衛できる仲間の陣地を確保し、発展させて行くことである。ありとあらゆる「不法占拠」は万歳!である。これを基盤にしながら仲間達が被る様々な不利益に抗していける。団結の権利を獲得して行く過程が、まさに「不法占拠」の維持・発展過程に凝縮される。
 そして、第三に、路上から脱するあらゆる方途・権利を獲得して行くことである。しかし、これは行政による「対策」「施策」を全面的に目的化するものではない。「あらゆる」方途である(諸要求および政策提言については、新宿連絡会の「路上からの提言・『路上生活者問題』に関する私たちの見解と政策提言」を参照の事)。
 一般にこの種の運動の目的が、行政による第三の目的、すなわち「対策化」に矮小化され言われているが、実は、まったくそうではなく、あえて言えば野宿のままでも「不法占拠」のままでも、仲間が生き生きと生きて行ける条件を獲得しさえすれば(そして理想を言うならいつでも野宿から脱する権利行使ができる環境がありさえすれば)、それはそれで運動の成果なのである。
 行政の「対策」「施策」との関係で言えば、現在の行政力量を考えれば、全体からすればそんなのは決して大したものではないし、行政は運動とは別の目的を常にもっているものである。その拮抗関係は常にあるし、拮抗関係がなくなるという事は決して有り得ないであろう。つまり、野宿者の利益にならない「施策」については徹底的に反対し、粉砕しまくり、ある程度利益になる「施策」なら利用しまくり、改善しまくり、要求しまくる、という関係を作りだす必要があり、社会的に野宿者層の存在をアピールし、社会の意識変革を迫り、友軍(他の種々な形態の中で呻吟している貧困層の仲間)を獲得していく武器に行政闘争は大いになり得る、という関係であろう。行政への「対策」「施策」の要求、獲得しか頭にない運動は、すなわち頭でっかちな運動にしかならないし、行政の意を汲み「強制排除」を容認する運動にしかならない。他方、対行政闘争を基準として、その要求実現が遅々として進まない現状に対する裏返しの発想として、自前の就労対策や自前の仕事創出などが近年各地で言われている。この試行錯誤は大いにやるべきだと思うが、しかし、運動の発想として対行政闘争との対立的もしくは、過渡的な事業として位置付けるようではあまりにも中途半端である。すなわち発想が逆なのであり、行政が出来ないから運動もしくは民間が補佐する、やる、というのではなくして、運動の目的において必要な事柄だから、自前の運動の力でやり、また行政「対策」を要求しながら、その「施策」を利用するなり、拡大するなりさせて行くのである。運動の側から発する「路上から出する方途」は常に創意工夫しながら創出されなければならない課題であり、それは単に就労に限定される問題でもない。むしろこういう観点において個別行政の利用、活用、部分的な協力というのがあり得る。
 
 まあ、こんな観点を考えながら東京、なかんずく新宿の運動は、幾多の失敗を重ねながらも進んでいる。走りながらしか思考できない私達の運動のスタイルのある意味での到達段階と考えて欲しい。こういう方法が運動にとって良いのか悪いのかは分からない、だけど、私は暇がありさえすれば都内をふらりふらりと歩きまわる(路上文芸総合雑誌「露宿」掲載中の東京ふらり散歩など参照)。歩きまわって仲間と出会わず、話もしない事はまずない。それだけ、路上には朝、昼、晩、深夜と、どの時間帯においても、どの地域においても仲間が大勢いる。そうやって、彼・彼女らが、この社会の中の構成員であることを私は日々発見している。そういう路上の立場から野宿者運動は出発するのである。決して政治学や社会学や経済学から路上の運動は出発する訳ではない。

新しい下層って何?

 さて、「時代がつくる新しい下層」というテーマで、昨年の寄せ場学会シンポジュウムに何故だか私にお呼びがかかり、「都市雑業」について語れということなので、新宿や都内各地で見聞きした、今や野宿者の花形産業とでもいうべき古本回収業など様々な「都市雑業」を語ることになったのであるが、例の通り明快な話しにならなかったのは、「新しい下層」って何だろうか?という事が引っかかっていたからである。
 運動の立場からすれば、「誰が」野宿者であっても、「何が」原因であっても、それはさほど大きな問題ではないことは前述した通り。つまり、下層が新しかろうが、古かろうが、そんなことはどうでもいい問題であり、それとは別に現に野宿する人々の現状を変えていく運動はダイナミックに進んで行く。
 もちろん「都市雑業者」が決して新しい下層な訳ではなく、「雑業者」の実体などは、松原岩五郎や横山源之助らの時代から注目され指摘され続けてきた事で、別に新しくも何ともない。唯、労働形態や資本化の推移の中、日雇労働が都市貧民層の主要な労働形態となり、ある意味では、その視点から見棄てられ続けてきただけの事である。 
 都市雑業と言うのは「古く」からある貧民の生活の知恵である。「日雇できなきゃダンボール集め」これに何の差があるだろうか?何をしてでも人々は生きる。生きるためにはカツアゲだろうが、泥棒だろうが何でもする。これは善悪の問題ではなく現実の姿である。雑業が正規な労働ではないなどという価値観がいつの間にか植え付けられて来たが果たしてそうなのかともう一度疑ってかかる必要があろう。炭坑離職者、農村からの出稼ぎ、臨時工、社外工、家内業、水商売や飲食店、これらは建設日雇とどこが違うのであろうか?更に言えば、物乞いだって、拾い喰いだって立派な生業である。カンバン持ちも、チケットの並びも、古本集めだってこれまた立派な労働である。これらの職業につく人々は一概に貧乏である。中には野宿をしいられている人々も多い。逆に言えば、只、それだけの違いでしかない。無職と言われている人々にもなんらかの生業の手段はある。たかりにはたかりの技術や才能もあり、プライドもある。人は賃金労働者になるだけが全てではない。そして決して都市雑業は低位な仕事ではない。喰わなきゃあかんという切実さは、人を(主要には都市、なかんずく大都市)に移動させ、様々な生業を見い出させて行く。これは今も昔も変わりはしない。何故かと言えば、サービス産業など都市ならではの雑業の宝庫が都市には常にあるからである。もちろんそれはインフォーマルなものが多く、その利潤は手配師業に見られるように暴力団などの収入源になることが多いのであるが、逆に考えれば、貧困層の生きる力や知恵の報酬があらぬ勢力にかすめ取られているだけの話しかも知れない。循環型社会を代表するリサイクルショップたる百円本屋は、野宿者の移動する拾うという生きるための行動パターンが経済行為となった大きな例である。これはもちろん暴力団が営利目的で始めた産業ではなく、おそらく露天売りの系譜の中、通行人のニーズに即して現代的な形に成長したものであろう。そしてこの産業がそれなりの利潤をあげていることが明らかになって初めて「ショバ代」などなどという話しになる。もとはと言えば貧困層が生み出した生きるための産業なのである。この力を生かそうとはせずに取り締まろうと考えるのが間違いであって、そういう発想が、雑業者を低位な労働として社会から排除せしめているのである。私はある種の価値観を持たずに、これらを認めることから始めなければならないと考える。そもそも私ら活動屋も都市雑業者の最たるもので、自分でも何をやって喰ってるのかすら分からない貧民の一人である。そういう意味では非常に親近感がある。そうやってでも貧しい人々はある種の連帯感を持ち、その社会の中でかつがつだろうが生きていけるのである。これらの人々を失業者と言っても良いが、その失業者が失業保険に依拠せず喰っていけるのは何故か?この不思議を解明しなければ所詮「同情を乞う」救済運動にしかならないと思うのである。民間の炊き出しだけで喰ってます。行政のカンパンなど法外援護に頼って喰ってますって?いやいや、そんな事はない。みんな身を粉にして様々な生業(炊き出しの場に行くという生業もしかり、役所に行くという生業もしかり)をしながら喰っているのである。だって喰わなきゃ死んじまうじゃないですか!

 雑業を特殊な労働、低位な労働と見る視点、そして最近の野宿者をめぐる議論の中で気にかかるのは、そもそも、雑業者だったら同情しないが、失業労働者だったら同情しようというマスコミなどの風潮である。失業が社会的にクローズアップされると、野宿者はとたんに失業者となった。それまでは「浮浪者」であり、青島前知事の発言にみられるように「怠け者」や「自業自得」のなれの果てであった。それがとたんに風向きが変わる。もちろん大きな社会問題として認識されるのは良いことなのであるが、その問題のされ方が偏るとロクな事はない。かつての昭和恐慌時にはそれまで「浮浪者」「乞食」と呼ばれていた人々は急に「ルンペン」と呼ばれ始め、マスコミや社会事業者などから「失業者だったら同情しよう、浮浪者だったら同情しまい」と注目された。この時の議論の論点もまた「就労意欲があるかなしか」。まるで雑業者は就労意欲がないかのようである。
 確かに一般の失業問題は、この問題に大きな規定力をもって襲いかかっている。それが証拠に失業率の上昇と同時に野宿者数も増加するという傾向が続いている。しかし、たとえ根拠がそうだとしても、野宿者が抱えている諸問題が失業問題に解消できる訳でもない。もっと言えば就労意欲のありなしなどという議論の立て方は一般就職を望むか雑業的自営を望むかなど選択肢が現にあり、就労活動が出来る環境が整っていて始めて可能な議論である。失業問題への着目はそれはそれで野宿者を増やさないための処方箋にはなるだろうが、現に野宿状態に陥っている人々への対応とは成り得ない。野宿のまま再就職できない社会的なハードルこそ野宿者問題が実際に克服していかなければならない課題であり、今流行の単なる反失業一般ではなく、それこそが野宿者問題なのである。根拠を知って安心して処方箋をかけるほど、我が同胞の実情は甘くはない。上昇や美化を目的とする社会から徹底的に排除され、浮浪者と言われ続け、自業自得と言われ続ける人々が抱える諸問題こそが、野宿者問題なのであり、それこそが路上であり、「ホームレス」なのである。そして、それは、まったく新しい問題でも何でもなく、歴史上繰り返された古くからの問題でもある。
「…貧者に対する『くさい』『汚い』『怖い』なる異質観は、社会の腫れ物としての存在を貧民窟に授けてきたし、その伝統的な職業においても差別視する風潮がまかり通っていた。資本主義社会においては、前時代に増して貧乏は自業自得であり、罪なことであった。このことは純経済的な側面というより、差別が差別を生むよう、貧困が貧困を生む結果ともつながって行った。貧者の子供は貧者に固定されてしまうのである。『経済上』の不足に一面化できない現実・構造がここに生じていた。失業者の前に、非人、乞食、浮浪者という拭い難い烙印が都市貧民には押しつけられていたのである」(「底辺下層に組み込まれた労働者がたどる最下層の還流点その3」)
 結局就労能力のある(と認知された)人々=一般失業者(?)だけを救済するような発想は何ら歴史や路上の現実から学んでいない視点である。こういう発想に我々が乗っかては駄目なのである。そのためにもまず、都市雑業に価値観をまずは挟まず、真摯につきあう必要があり、また、野宿という生活形態、そしてその場の貧しい人々の協同した生活力にまずは触れていかなければならないのである。

 我々が考える「新しい下層」は、研究的なもしくは興味本位の「新しさ」ではなく、また単なる失業一般でもなく、貧困層の質的量的広がりとして、把握すれば良いだけではあるまいか。貧困層をとりまく社会全般への層的な抵抗、権利獲得をいかに作り出すかという観点に取って多様な仲間が増えることは実に良い事である。その意味での「新しさ」は新宿の地の運動はより多く実感している。
 逆に言えば、「新しい下層」は、「寄せ場固有の下層」に執着しすぎた故に「新しい」と思っているだけであり、我々が見ようともしていなかったが故に「新しい」だけである。すなわち、それに着目するなれば、そこに研究的もしくは運動的な自己批判がなければならず、単に「新しい」と言うだけでは、何も見いだせないと思うのだが…。東京都でさえ「路上生活者問題」を「新たな都市問題」と何が新たなのかを言明せず流行語のように言っている。こういう用語は何かが分かったように思えるが実は分かっていない用語の代表みたいなものである。
 九十年代初頭の既存「寄せ場」周辺に固有だった野宿状況が、今や東京都内どこに行っても見受けられる状態に、何故「寄せ場」に拘る人々が喜々としないのか、私には不可解としか言い様がない。「寄せ場」は今やもう都市全般に広まっているのであり、貧困層の仲間達はその数を増やし続け「不法占拠」をしながら、日雇や雑業仕事をしながら野宿ながらも何とか生きようとしているのである。このことに着目もせずに何が「新しい」だろうか?そういう事を言う人々の頭が単に古かっただけの事である。
 統計を出すならば、 六割、四割、これは、九十四年から九十九年までの各種調査によって現れる前職業の区分けである。すなわち、六割が建築産業、四割がサービス業を筆頭とするその他の産業である。(新宿における歴史的な統計調査は「路上からの提言」を参照の事)建設産業末端が戦後の貧困プール産業であったことは疑いがなく、その産業に従事していた人々が現在の野宿層の過半数を占めるのは構造的にも理解できるが、しかし、その中で既存「寄せ場」の機能がどこまであったか?九十九年連絡会調査での路上に来る前の居所で簡易宿泊所と回答したのが全体の十%足らず、飯場が三十三%という数値が、現在の「寄せ場」機能のある種の目安となるかも知れない。もちろん「寄せ場」から飯場への手配ルートはあるのであるが、少なくとも簡易宿泊所から現金仕事を行き、そこで何らかの事情で野宿生活に至ったという、九十年代初頭に我々が主張していた「寄せ場の労働者」からの「転落」は今や十%足らずであるという事である。それだけ野宿を排出する場はこの社会の中に拡がっていると言えよう。今まで見えなかった貧困層は瞬く間に拡がっていたのである。労働形態を取っても、また居住形態を取ってもである。

 もちろん、何故、このように多くの場から多くの野宿者が生まれるようになったのか?という点は、様々な角度から議論されなければならない事柄だろう。貧困層から新たに野宿に至る人々を増やさないためにも、この種の研究や調査を否定するつもりはない。これこそ大きな政治的な課題である。不況一般の問題ではなく、重層的下請構造の末端に位置する貧困層の構造がどのようなドラスティックな激変を経験しているのか?そのことの政治、経済的な解明は、日雇労働運動やホームレス運動、外国人労働運動や失業者運動、中小零細企業などで働く労働運動なども含めた、下層解放運動にとって重要な事柄である。もちろん、それぞれの領域での抵抗運動はある。が、現状はそれを束ねる視点がほとんどない。下層の運動を束ねる視点と束ねる意思を形成した時、始めて、それは政治運動となり、野宿化を阻止する実際上の力となり得る。
 今は議論や研究の仕方が混乱しているのである。現に野宿を余儀なくされた人々をどうするのか?という議論が先行しすぎ、何故野宿を生み出すのかという議論がなされていないし、また議論されていても、その原因論が、失業に対して「仕事よこせ」のように短絡化されて解釈されている。
 繰り返していうが、野宿原因の不足の補填が野宿状態を解消すると思うのは大間違いであり、野宿には野宿の新たな困難がある。すなわち、野宿原因を追求することと、野宿状態を対象化するのとは別時限の問題であるのである。御用学者やインテリはそういうことを履き違えてすぐに「処方箋」を書きたがるが、そんなものは現実の運動にとって一文の価値もない。私が「寄せ場」運動や、日雇労働運動とは、別にホームレス運動などと明言し、路上や「雑業」に拘っているのには、そいう理由がある。
 私達(連絡会)が取った手法は、「路上からの提言」にもあるよう、現に野宿している状態の人々を真に対象化し、原因論からではなく、現状論からそのニーズに即した支援策を要望し現実化させようという手法である。そして、それはあくまで、現に野宿に至っている人々の現状という限定を付し、野宿当事者の希求に即して社会的もしくは自力で補填していこうという作業である。誤解を恐れずに言うなれば路上がいいのか良くないのか本人が選択する自由と環境を作りだすという事である。現状においては路上の方がよほどましな部分も多々ある。それは、路上から脱する機会と環境が与えられていない事の裏返しである。もちろんだからと言って「路上のままでいろ」とは言えない。そこに、その状態からのほんの少しながらの上昇を求める人々がいる以上、そのニーズと個人の力、協同の力に則した「敗者復活システム」(施策のみの話ではない)を作らなければならないと思うのだが。

おわりに

 野宿すら出来ない都市は本当の都市ではない。そう思うようになったのは、新宿駅西口地下の火災事故の後、やみくもに東京の街を歩き始めた頃である。土地の光景には歴史の流れや思想が凝縮されている。もう一度、山谷や新宿などという固有の土地から離れ、この東京という大都市を客観的に見ようと思ったからである。
 もちろん都市には大金持ちや成り金がいたっていい。大金持ちが高台に豪邸を建てても文句は言わない。金持ちが遊べる場所があっても良い。しかし、それと同じように、都市には貧しい人々がいても良いのである(無論、貧しいと言っても限度はあるが)。そういう場所がこの都市には著しく少なくなった。そして、だからこそ木造アパート街や河川敷の仮小屋や場末の汚らしい歓楽街などが新鮮に見えた。もちろん、そんな場所は山谷などにはいくらでもある。しかし、そればかりを見ていると対比が出来なくなってしまうのである。この都市がどうなっているのか、「寄せ場」から世界が見えるかと言えば、見えているようで実は見えていなかったりもするものである。ひとつの場所にいる限り見落としが多いのである。
 
 この都市の中に野宿者がいる。雑業者がいる。そうあってはならないと、多くの識者は原理原則を掲げていうが、この世に「不幸」がある限り、さまざまな「不幸」の形態はあってしかるべきだと考える。良いか悪いかなんて言う評価は後から付けるものである。肝心なのはその「不幸」を社会の「不幸」と感じられるかどうかだけである。人の営みは肯定する所からしか始まらないと思う。それがあらゆる関係性の始まりである。この社会が路上で暮らす人々を排除してきた歴史を持つ以上、そうあってならないと諭すことなど誰が出来ようか?徹底的に肯定した上で、その中からの不足を明らかにしていく作業以外の方法を私は知らない。酒飲みのおっちゃんに酒を止めろと諭すより、一緒に酒飲みながら話し合う。そういう事からしか始まらないのではないのかと考えるのである。屋根があったって、路上で寝たい時はあるさ。仲間が欲しい時もあるさ。それをどうしろ、こうしろなんて言われた日にゃ世も末だ!


                                             (了)

2000年5月「寄せ場 13号」