新事業に思う

笠井和明


 2004年7月1日夜、戸山公園のベンチに凭れ煙草に火をつけた。東京の歴史的猛暑へと至る今年の夏は、静かにそして蒸し暑く幕を開けた。何事もないよう長い昼が暮れて行く。いつものような早稲田の学生の人通り。将来が恐らく約束された若人の歩調は早い。その奥の木立の中に幾つも伺えるブルーテントの群。仕事帰りのおっちゃん達がテントの前で靴を脱ぐ。晴れやかさはなくとも、一日の終わり身体を横たえる場所がある事だけがささやかな幸せ。
 芝生広場にはテントを持たないおっちゃん達が段ボールで囲いをする。星空が見える塒。明日も朝が早い。今宵だけは邪魔者が入らずぐっすりと眠れるように。

 新たな対策の始まりの日がこんなにも静かなものとは想像もしていなかった。
 94年冬期臨時宿泊事業の始まりは、西口地下通路の強制排除事件の只中にいた。
 96年芝浦臨時宿泊事業も同じ。
 98年自立支援センター暫定実施は、西口地下広場火災の大混乱の中始まった。
 00年自立支援センター本格実施の始まりは、役所前の長蛇の列での抽選となった。

 たいがいは新宿の街からスタートする路上生活者対策は、常に混乱や喧騒や混雑の中始まるものだと身に染みて感じて来た者からすれば、今回の「ホームレス地域生活移行支援事業」程、地に足がついた事業はないだろう。
 引き抜きでも、抽選でもなく、自らが考え、選択するようにと、ひと月にも亘る「個別相談」から開始されたこの事業開始は、経験的には異例な事であるが、ある意味これがごくごく普通な事なのであろう。

 もちろん、これは表層的な物事の進行である。その裏にはここでは書けないことも含めて、あれやこれやあっての離陸であった。しかし、表層的な現象は、その事柄の経緯が反映されていく。水面下での抗争が無事に済んだからこそ、この事業が何の混乱もなく開始されたのである。
 しかし、それを自覚出来ない人達もいる。「にわか政治屋さん」達である。
 おもしろい事に新宿で長年コツコツと活動していた人が突然「にわか政治屋さん」になった。自分の主義主張を施策に反映させようとする事は当然の事であろうが、力関係や駆け引きを知らずにそれをやろうとするもんだから、その結末は追って知るべし。この事業が民間団体活用がベースになっている事を良い事に、しかも、山谷や渋谷の支援団体がこの事業に「反対」である事を圧力として利用し、更に受託契約段階に至ってまでもそれを盾にとって馬鹿げた「政治」を振りかざすものだから完全に周囲から呆れられる始末。事業開始を待ちくたびれている当事者と自分の主義主張のどっちに顔が向いてんの?まったくのヤレヤレである。彼らは想定され得る諸課題についてこう施策者に問い詰める。「どうするつもりなのか?」。彼らは施策者が細部に亘る企画書を書ききれていない事を非難する「無責任である」「見切り発車である」。つまり彼らは施策は与えられるべきもので、その与えられた土俵の中で勝負するものだと勘違いをしている。こんな発想は旧社会党の支持者辺りの時代遅れの発想だとばかし思っていたが、何とその旧社会党全盛期すら知らない若い世代の者がこういう発想に感化されてしまっている。逆にこう云うのがカッコいいのかも知れないが…。提案とか提言と云うものを、いかに現実的に具体化して行くのか?その過程を経た事のない者が「にわか政治屋さん」になり、物事を逆にかき回す存在になってしまう。
 「公園の会」なる団体の「反対声明」もその類いである。
 このボランティアや支援団体の集合体は、「ホームレス」と云う存在は、永遠に行政が責任をもって「面倒を見るべき」対象であると考えているようだ。その対策に100%の安全と保障がない限り、その対策は「場当たり的」であるとも考えているようだ。しかも、その対策が失敗することを前提に物事を語り、失敗し、路上に戻った時、野宿する場所を保障しろと言い、そうでない限り、その対策は「排除」であると主張しているかのようである。
 何ともはや支離滅裂な主張であるが、こんな主張がまかり通る所に、我が運動の駄目さ加減がある。
 対策を見直せ、白紙撤回しろ、と云うのも主張であり、そう云う主張があったとしてもそれはそれで構わない。が、それにはそれなりの具体的な根拠と、具体的な提案があっての話であり、只、「行政は信用できん」と云う感情論だけで議論され、目茶苦茶な主張をするのでは、もはや思考回路の喪失でしかないだろう。

 「政治」を語って「知ったかぶり」をするのはやめようよ。もはや辟易である。
 想定され得る諸課題について「どうするつもりなのか?」なのではなく「私たちはこういう課題が浮上すると考えている。だからこうすべきである」。施策者が細部に亘る企画書を書ききれていないならば、と云うより、それより前に「無責任である」「見切り発車である」と言っている暇があるならば自分達で企画書を作り、提出する。まあ、これが当たり前の事だと思うのだが。今日において、そういう能力のない団体は自ずと自然消滅するか、細々と組織を保ってみてもその影響力は失ってしまうだろう。提案や提言と云うものは、学者の専売特許ではなく運動団体が積極的にやるべき事なのである。下手くそな「政治」でごまかせる程、行政は甘くはないと云う事をまずは知るべきであろう。

 まあ、そんな事より事業が静かにスタートした事を歓迎し、今後の推移をしっかりと見詰めて行く方が大事である。
 7月の「個別相談」では想定されていた程度の事業参加希望者が名乗りを上げている。こう云う選択の中では当然の事であるが、「こうあるべきだ」と云う理想論や「こうあってはならない」と云う感情論は見事に粉砕される。事業に参加するしないは当然ながら温度差があり、程よいバランス感覚が自然と発揮されているようである。「こうあるべきだ」と考える公園管理事務所など管理者は、その意気込みに少しブレーキをかけた方が良い。強権発動以外に「こうあるべきだ」を実現する道はない事ぐらい長い攻防の経験からご存知であろう。強権発動をしないと云う前提の対策では、思ってた程事業参加者がいる、と考えるのが妥当である。
 「こうあってはならない」と考える一部支援団体もまた頭を冷やす時であろう。自分の主義主張と同じ人はいるかも知れぬが、全員がそういう訳ではない。声高にかつオーバーに主張しても、ついて来るのはその程度なんだって。それよりも、参加しない人がこれだけいたのは、自分等の主張が正しかったと勝手に夢精しておれば良い。
 
 7月の「個別相談」を経て8月から具体的なアパートへの移行準備が始まる。早ければ下旬にも第一段の移行が実現するだろう。この過程はほとんどきめ細かい作業の積み重ねだけである。そして、第一段の移行さえスムーズに行けば、第二段以降は順当に物事が進んで行く事であろう。もちろん当面の課題はアパートへの移行であるものの、それ以降の課題として就労支援を中心に、いかに生活を維持していけるかの最大の試練が待ち受けている。しかし、ここにおいて十羽ひとからげにした議論はこれまた危険である。生活力には個人差があるのは当然である。これは単に収入額だけの問題ではなく、また臨時雇用の幅や大きさだけの問題でもない。生活と云うのは言うまでもなく複合的な要素が絡み合う問題だけに、「走りながら共に考える」しかないのである。こう言うとこれまた「無責任」であるとの批判が噴出しそうだが、実際問題、個々の生活問題と云うものは常にそうであり、2年後を想定して生活している者など貧しき人々の中にはほとんといないだろう。唯一信頼が置けるのが人間の生活防衛本能だけであろう。そこで生活出来るとの確信を得たら、火事場の馬鹿力ではないが、徹底的に自らの拠点を守り抜くのが普通である。テント生活時と生活水準が同じだったとしても、そこにはフォーマルな生活拠点がある。その「変化」と「安心感」こそが必要なのであり、そのことにこそ、今回の事業の意義がある。そこに行き着けるか行き着けないかが問われており、もし、行き着けなければ、結局は「貧乏人や生活能力のない者は野宿するしかない」世の中である事を認める事にしかならない。野宿は他の選択肢がない中での現象であり、もし仮に今回の事業対象者の多くを再び野宿以外の選択肢がない所にまで追いつめて行くとしたら、これはこの事業の失敗と言わざるを得ない。しかし、一部を除いて全体としては決してそうはならないだろう。何故なら、快く元路上生活者を受けて入れてくれる「地域」がある、ないしは形成されると云うのが幻想である以上、「地域」の中に「フォーマルな場」をある意味強引に作る事が貧しき者が「地域」の中で生き抜いていく唯一の処世術だからである。「インフォーマルな場」を「フォーマルな場」にしていく発展の過程がここにあるからである。そして、それはボランティア諸氏が作る怪しい「救いの場」ではなく、現実の貧者が作る具体的な場である。不安定な場から安定的な場を求めて移行するのは生活者において当然の事であるが、路上の人々は層としての「不法占拠」の発展段階に留まった。それはそれとして意義ある事であるが、今回それ以上の安定性ある場が用意された。この「掛け橋」が施策として設定された以上、多くの人々が移行するのもこれまた当然の事である。月額3000円と水道光熱費程度で2年もしくは4年(必要とあればそれ以上の継続居住を求める事もあるだろう)の居住の場が「契約」と云う形で手に入る。保障人は不要、住民票設置も義務化しないと云う条件下では、この事業枠にマッチする人々は間違いなく路上において多くいる。
 自立支援施設など入所者と話してみると「再路上」への恐怖と不安はよく口に出る。おそらくそれが本音であり、少なくとも雨露凌げる生活の場はよほどの事がない限りそう簡単に手放す事はないだろう。「路上生活の常態化」が施策上で議論される時期に今はない。「再路上」へと至る根拠を洗い出すなれば、その解決策はまだまだ可能である。必要なのは「二度と路上に戻さない」と云う傲慢な意志ではなく、生活の安定に資する具体的な支援である。

 ある理想論に形を押し込める段階から、具体的な生活を支える段階へとこの事業も推移している。具体的な生活を支える上で必要なの物は端的に云えば「稼ぎ」である。この「稼ぎ」を、どうゆとりのもてる、そして様々な出自と経験を経て来た人々の能力にマッチングさせられるのかと云う個別的な課題がベースになるし、そしてこれは常雇就労支援以外は今迄に成した事のない新たな事業である。月8万の収入保障云々を云う前に官民で仕事を創り出す事である。月8万でも生活できない人もいるし、月8万以下でも十分生活出来る人はいるのである。収入額が大きな問題ではなく、その内実の方がよほど大事な事である。必要な人は生活保護と云う事になるのだろうが、すべからく生活保護にと乱暴な議論をしても始まらないし、先がない。「稼ぎ」をいかに創り出していけるのか?この点での議論を無視して今回の事業は発展しないだろう。


 野宿すら出来ない都市は本当の都市ではない。
 同時に野宿から脱したいと願う人々にそのチャンスすら与えない都市は本当の都市ではない。
 次のフレーズがようやく言える時代になったようである。

(2004年7月)