11月24日、連絡会にとってゆかりが深い緊急一時保護センター大田寮(かつての「なぎさ寮」)が閉鎖されました。
93-94年、初の路上生活者越冬対策(当時は排除の受け皿)の場に選ばれて以降、「なぎさ寮」「大田寮」は連絡会の歴史(東京の路上生活対策史)と共に歩んで来た生き証人のような存在で、感慨ひとしおです。93-94年越冬での面会激励行動から、94-95年越冬での管理改善行動、95-96年越冬からの徹底利用方針、98年2月の西口地下広場火災に伴う暫定利用、02年春の運営改善行動などなど、連絡会にとって「施設のあり方」と云えばすぐさま大田寮の名前が出る程、関係の深い施設で、また、新宿の仲間もかつて散々に世話になった施設です。
現在、緊急一時保護センターは100名未満の小規模施設化の流れにある中、300名ものキャパを持つ大田寮の存在は、何かあっても「使える」安心感を私たちに与え続けてくれましたが、残念ながら大田寮の土地は山谷越冬対策施設に戻され、路上生活者対策では今後一切使えなくなります。
おうおうにして大規模施設は批判されがちで、私たちもかつては散々非難して来ましたが、今思えば他方で悪い面はあったとしても、緊急時に様々な形で使えるのであれば宿泊枠の大きさは決して批判されるべきではないでしょう。
まだまだ路上生活者対策が途上の中、この施設を失った事を反省するなんて云う事態にならなければと願う限りです。
他方で、緊急一時保護センター大田寮は、世田谷寮に引き継がれ運営される事になります。緊急一時保護センターも早いもので5年が経ち、来年から毎年閉鎖、開設が繰り返される事となります。たった5年程度のスパンで閉鎖、開設が繰り返されるのもおかしな話しですが、天下の「都区合意」が前提にある以上、誰かが「止めよう」と云わない限り、ある種の無駄遣いが繰り返されます。自立支援事業の見直し議論の中で、どこまで踏み込んだ意見が出されるのか注目をしたいと思います。
新設された世田谷寮(定員100名)は多摩川べりにある静かな場所で静養するには格好の場所で、しかも居室が更に深化を遂げ、2段ベットが廃止され、1段ベット、しかもしっかりした間仕切り付きの「ほぼ個室」でオープンされます。改善の声を上げ続けて来た私たちも、これには感服しきりです。中には「もったいないよ」なんて云う声も。但し、世田谷寮は新宿区からは入寮できず、渋谷、品川、大田、世田谷などの第3部ブロックの福祉事務所が使う事になります。せっかくの成果の恩恵を預かれずに、これまた残念。