2003〜2004新宿越年越冬闘争支援連帯集会基調
一、はじめに
一九九四年のあの冬から数えて十度めの新宿の冬景色。何が変り、何が変らぬのか?そんな問いが出来る程の歳月が路上に流れた。「成果」と云う言葉ほどこの路上に似合わぬ言葉はないであろう。胸をかきむしる慟哭も、馬鹿らしいドラマも、人の死も、人の旅立ちも、人の堕落も、ありとあらゆる人生の細切れを我々はこの十年間、すべてを経験した。
運動に「成果」が問われるのなら、あえて云おう。路上の十年の成果は、我々が来て、そして今でも我々が路上に在ると云う事のみが、連絡会運動の最大の成果であろうと。
新宿、そして池袋の路上には、虚栄があり、まやかしがあり、人でなしが「金」の力で闊歩する。光り耀くイルミネーションは、その取り付け作業を担った人々の汗で耀きは薄暗い。都市が在る限り、都会が在る限り、その裏で働き、疲れ、行き場を失う人々がいる。たとえ、そこに仄かな光りが当てられたとしても、たとえ、そこに法律の網がかけられたとしても、そこには太古以来、何も変らぬドブ川が流れる。
我々の十度の冬は、ちょっとした川への投石にしか過ぎないだろう。それが謙遜ならば、少し流れが広がった川にちょっとした堤防を作ったに過ぎない日々だったのだろう。
二〇〇二年、ホームレス自立支援法が制定され、それから二度目の冬。川面に投じられたちょっと大きめの石の波紋を感じている仲間は少ない。迷いに迷った人々が真に身を預けられるのは抽象的な理念ではなく、具体的な「モノ」であるからである。
この運動に一身を賭けて来た我が運動も、その身の程知らずさ故に組織体制を壊し、治癒の時間へと入った。大衆運動としての在り方が、新たな発展の方途を病棟から眺めている図である。
制度確立から現実変革の下降線は、はた目から見る程、そして我々が想定していた程、容易ではない。それを思い知らされている日々である。
この春、法制定を望み、政治家に現状を訴えていた一人の仲間が公園で死んだ。なかなか進まぬ対策に「やっぱりね〜」。現実なんて云うものは、そんなものさと遠くを見ながら、テントのまわりの仲間を日々支え続け、自らの病気に気づかわずにあっけなく逝った。
我々が接して来た目の前の人々が、苦しみ、そして死ぬ。これに終りが来ない二〇〇三年〜二〇〇四年の冬。
何事もなかったように、我々は我々の運動を進めよう。見果てぬ夢は、それを掴んだ瞬間に霧散してしまう事を知っていながらも、愚かな我々は、だからこそ、進歩のない歩みをこの冬から、この路上から始めよう。
二、本年の諸活動の成果と反省、そして課題
1、対策の拡充、拡大を求める東京とのたたかい
ここに列挙する成果は、上記の通り、たいした成果ではない。それは単なる刻印かも知れない。が、運動と云うものは困ったもので過去を振り返らないと前には行けないものである。たいした成果ではなくとも以下列記したい。
- a、春期都庁交渉等による自立支援事業改善の実現自立支援事業の改善点において、昨年度からの積み残し課題でもあった。自立支援センターのリピーター問題の一定の解決。緊急一時保護センター内の就労支援強化の実現(職業相談員の配置と技能講習制度の前倒し実施)等を、メーデーを前後する春期交渉の中で明確に打ち出しようやく本年後半、実現の途まで就いた。
b、施設増設要求の実現
こちらも、東京都および23区の計画が遅々としている中、早期設置の要望を恒常的に訴え続けて来た結果、緊急一時保護センター板橋寮の開設を勝ち取り、また来年3月までに緊急一時保護センター・江戸川寮、自立支援センター・渋谷寮の設置の目処をつけさせた。
c、厳冬期対応無料宿泊事業の実施
昨年度に引き続き、越冬対策後の臨時施策として、新宿区に厳冬期対応無料宿泊事業を五〇〇名枠確保させ、実現にこぎつけた。
事業実施、および改善点の中では、グループホーム構想の頓挫、未実施問題に見られるよう、ステップアップ方式を見据えた自立支援事業が全体的に後景化されて来た事に対するリアクションがとれず(すなわち必要性の認識が足らず)おる事が反省点であろう。
これらの総括点の一考として下記の文章を参照にされたし。
『東京における自立支援センター開設三年を迎えようとしている。東京都および23区の合同体制で社会福祉法人やNPO団体、民間活力も活用しながら実施されている東京都の自立支援事業は、そろそろ総点検の時期に来ているとも考えられる。それは、法律制定後の東京都の「実施計画案」の中でも新たな自立支援策(テント対策の重きを置いた)が模索されている事からも実施主体サイドからの意向でもあるようだ。
とは云え、残念な事に、現行の自立支援事業は当初案からすれば「未完成」のままである。行政が一度立案した施策体系が「未完成」な段階において個別のではなく全体としての「成果」「効果」を論議し、新たな施策をつぎ足しする事が良いのかどうかは判断が別れるところであろう。が、「走りながら考える」と云うのも、施策上まれにみる特殊な施策だけに必要なのかも知れない。その点は柔軟に考えるとしても、新たな対策を打ち出すのであれば、現行の自立支援事業を更にレベルアップさせていくと云う観点がなければ、体系としての施策は疑わしいものになりかねない。そして、そのためにこそ、現行の自立支援事業について、単に「テント層の人々が使わない」と嘆くにとどまらず、きちんと点検されなければならないのではなかろうか。
そもそも、現行の自立支援事業の核は、自立支援センターを中心にして行われている、生活支援、就労支援、住宅確保支援(まさに自立のための総合的対策)であり、この自立支援事業の核から派生したものとして、緊急一時保護センター等が発案され、その他関連施策が上下左右にくっついている図である。東京都が先駆けて行ってきたこの発想の施策は、今や国をもが採り入れ、形は違えど主要都市において実施されており、ある意味、ホームレスの自立支援策のメイン形態であるとも云える。
東京における実績は結果、約50%の瞬間値自立率を見ており、また入所者就労率は90%を越える驚異的な数値を常に上げており、これだけを見ればこの形態の自立支援策は成功しつつあると客観的に評価出来るものである。
改善点はもちろんあるし、連絡会も、様々な提案をして来た所である。それを差し引いたとしても、東京の自立支援策は、就労支援を軸に生活支援、住宅確保支援を加味させていく事によって路上生活者の自立を充分支援出来る施策(現状は満足でないとしても、その可能性を持った)であると総括できるのではないだろうか。
しかしながら、何故だか東京の行政はこの成果や可能性を正当に評価せず、これを強化、拡大、改善していく方向に動こうとはせず、「これはこれで充分でない。その証拠にテントが減っていない。だから、他の施策を」と考える。
他の施策はもちろん構わない。国が発想化する以上の事を東京都にはやってもらいたいと願ってもいる。けれども、突拍子もない事を突然やられると、裏を読みたくなるものであり、「ちょっと待った、今までの対策はどうすんのよ?」と云いたくもなる。
いかなる施策もそうであるが、整合性をどのようにつけるかが問題なのであり、やった事をやりっぱなしにするのが一番宜しくないのである。
14日、東京都は本年夏の概数調査を発表した。
もちろん調査方法は以前と同じものだが、今回の調査では23区内は5496人と前回調査より暫減。東京都は平成11をピークに4年連続暫減に押しとどめているのは自立支援事業の効果であると説明している。
これまでどれだけの実績を自立支援事業があげたかと云えば累計で3045名の入所を受け入れ、既に2724名が退所し、内818名の住宅確保と 540名の住込み就労自立を果たして来た(8月末現在)のが統計上の数値である。もちろん自立後に再び路上に戻ってしまった者もおる。その意味では瞬間値でしかないものの、住宅確保、住込み就労あわせて約 1400名と云えば、新宿区内の路上生活者全ての数より上回る実績である。これは客観的にみてすこぶる大きな規模であり、生活保護制度を適用せずとも、就労支援を軸に生活支援、住宅確保支援をミックスさせるだけで、これだけの事が出来ると云う事を証明しているのではなかろうか。もちろん施設運営側の努力も大きいだろうが、最も驚く事は入所者就労率は96%もあり、一般職安と比較してもこれほどまで就労率の高い場所は他にないのではなかろうか。すなわち、路上生活者の就労意欲にマッチしている施策であるからこそこれだけの数値が現われるのであり、「ちょっと背中を押してあげる」自立支援地行内の就労支援の仕方は、稼働年齢層には有効に働く事も証明されている。
しかし、東京都はこういう事を何故か自立支援事業の効果として宣伝しない。よほど自信がないのか数字もあまり公表しようとしない。すべてとは云わないまでも「ホームレス問題」の解決の糸口は、この間の自立支援事業の中にあると云うことすら認識しようとしない。これまた何故か?「テントがある」から「対策が目に見えない」からだと言う。しかし、「1400名もの潜在的なテント生活者層の支援をした」逆に言えば「1400個のテント形成を未然に防いだ」と、自信を持って言えないのか?まったく持って不思議である。テント生活者と云うのは社会的に放置されて来た路上生活者の自己防衛の究極的な姿でしかないと、何故認識しないのであろうか?
テントばかりを問題にしている人々は、路上をあまりにも知らなすぎる。そして現在行われている自立支援事業の意義もまた知らなすぎる。』(tokyo homeless News より)
もちろん、連絡会は自立支援事業の枠内を維持するのであれば、特別の対策、ないしは新たな対策の必要性について否定するものではない。が、その場合においても、現行の自立支援事業が正当に評価されなければならない事はもちろんの事、対策上の偏りを極力排する事が必要であろ。時流に流されずにこの観点を維持しながら、新たな対策に対して行きたい。
2、新宿区との新局面〜柏木排除を巡って
新宿区との関係に関しては、本年はこれまでの進展があった年でもあった。ある意味「なあなあ」の関係であった関係を、一気に緊張感させたものは、8月の区立柏木公園の閉鎖問題であった。
公園課の対策なき工事着工=追い出しに「待った」をかけ、「自立支援事業との連携」を追及した事からこの取組みが開始された。これまでの大ぶりで雑な連絡会運動の延長線ではなく、パトロールでの個々の聞き取りから個別ニーズを掘り起こし、ニーズを元に福祉にそれへの対応を迫って行く質は、連絡会活動が若干ながらでも進化して来た証である。この運動は、連絡会のロートルメンバーではなく、若きメンバー中心に取り組まれた事からも、これまでの運動の質的変化と、区サイドとの関係性をより具体的な関係へと発展させるものであった。
二度にわたる個別具体的ニーズをもとにした新宿区関係各局との真摯な交渉、自立支援センターへ入所したもののの就労を勝ち得た事、そして、それをキッカケに、これまで大田寮等、自立支援事業への入所を拒んでいた者の意識変化を促し、新たな自立支援事業参画者を増やしていけた事。
これは、今までの排除反対オンリーの運動の質からの一歩前進であり、排除圧力を逆手に現行で可能な範囲の事業提供を交渉で勝ち取り、個々具体的に有効に活用して行ける道筋を作ったものである。
排除問題の対応は、生存権の問題でもあり、この問題がこじれてしまえば、運動団体側と行政側の意地の張り合いにしかならず、結局は当事者の利益が忘れ去られてしまう、と云う事例を往々にして見て来た者にとって、今回のケースは結果がどうあれ、その過程が極めて重要であったと認識させられるものであった。法的には「自立支援事業との連携」を謳ってはいるものの、当の当事者にとって「自立支援事業」の中身は何も知らされていない。知っている内容は抽象的なもので、どのような場所で、どのようなサービスが行われ、どのような支援目標があるのかさえ行政からは説明もされていない。そんな状態で「ただ大田寮へ行け」と云われても、それは、とうてい「連携」ではない。「連携」のためには、正確な情報提供がまずは重要な事であるし、直接の真摯な話し合いが必要であると云う事が今回、連絡会および、新宿区双方で認識し合えた事は大きな前進であったろう。もちろん、この背景には、自立支援法制定以降、新宿区が区内NPOとの連絡会議を定期的に実施し、民間団体との信頼関係を再構築しようという意欲があった事、その渦中での事件であった事が幸いしたと、言えるだろう。
我々は「排除」「対策」と、いつも言うのであるが、当事者のニーズを無視し、一般的な用語として利用していた感が強い。この点の反省点を浮き上がらせる事例でもあった。
3、「ホームレス自立支援法」を
現実のものにするためのたたかい
昨年同様、ホームレス自立支援法制定後の今年度補正予算、そして一六年度予算に関して中央省庁との交渉を、全国の仲間の陣形で執り行ないつづけて来た。
他方、国の基本方針(案)に対して、連絡会の見解を公表し、全体として一歩前進ながらも「屋根と仕事」につながる施策の弱さを指摘して来た。
全国陣形が未だ未完成な中、それでも定期的に法律制定に尽力して頂いた政治家との関係性を維持し、その紹介で省庁交渉を続けている事で、我々含めて、対策上、民間団体の意向は決して無視出来ない状況を維持し続けているし、政府暴走を食い止めていると評価できるであろう。
4、仲間の命と生活拠点を守るたたかい
*日曜炊き出しの堅持
*新宿駅周辺、神田川沿い、戸山公園、中央公園の
基本パトロール活動の堅持と広域パトへの発展
*中央公園、戸山公園での医療相談活動の堅持
*福祉行動の堅持
*戸山公園特別清掃監視体制の堅持
*新宿区、自立支援事業、厳冬期対応事業の
抽選立ち合いの堅持
*自立支援事業関連施設への面会行動の堅持
*第一〇回新宿夏まつりの開催
*路上文芸誌「露宿」の定期発行等
*NPO「もやい」、NPO新宿との連携
*池袋連絡会との連携
変りばえしないものの、体制難の中、これらの活動を日常的に堅持し、仲間の一定の信頼を維持し続けて来た。
三、本越年、越冬闘争の位置
越年越冬闘争の原点は言うまでもなく「仲間の命を仲間の力で守りぬく」ことにある。「守りぬく」方法は様々であり、これはなにも医療活動などに限定されるものではもちろんない。生活保護や冬期臨時宿泊、緊急一時保護センター、自立支援センターなど既存の施策につなげたり、利用していく方法はもちろんのこと、仲間のつながりを更に強固にしながら、互いに支えあう関係を作り出すことも仲間の命を守りぬく方法である。運動方針を明確にし仲間に将来の希望をつかみ出そうと呼びかけ運動を作り出す方法、また、娯楽や文化活動もまた同じくである。冬という季節をいかに仲間を孤立させず、また消耗させず、また絶望させずに、運動が全体として前に進むか、この事が結果、仲間の命を仲間の力で守る方法となる。
越冬期は、前段、越年期、後段と簡単に区分できる。私達はすでに前段において、医療相談の強化、パトロールの冬期見直しと強化、毛布の配付、冬の対策一覧の情報提供などを行なってきている。
本年も我々の要求運動の成果として、原則二週間宿泊(一二月入所は三週間)の厳冬期対応宿泊事業が開始されている。この事業は新宿区役所で毎週木曜日、三〇名から四〇名の規模で抽選入所を行っている。
もちろん、越年期はこれら行政施策、生活保護行政が閉じる関係上、私達独自での取り組みが中心となるが、越年明け早々から、厳冬期対策施設の緊急避難的な使い方を積極的に仲間によびかけていきたい。
そして、冬は仲間が流動する季節でもある。新しい仲間との交流、関係作りを積極的に行ない、冬場、仲間が生きる術を仲間と共に共有し、また実践として示しながら、共に生きる希望を見い出す私達の事業への主体的な参加を促して行きたい。
越年期の班体制などについては、昨年を継承して行なう。我々は、本年も運動力量を無視した冒険はしないし、パトロール体制も昨年よりもより原則的な範囲における体制を取る。
他団体との連携も、山谷労働者福祉会館とのこれまでの炊出し等における関係を維持し、共に作業をし、全都の仲間が共に年を越す仲間のたたかいの一貫として新宿越年をたたかう。
例年に準じた通常の取り組みの他、多くの新宿の仲間が入寮している緊急一時保護センター・大田寮の面会激励行動を越年中に池袋の仲間と共に取り組む。
(詳細については、スケジュール表などを参照)
また、越冬後段については先に述べたよう、活用範囲が広がった行政施策、生活保護の利用をよびかけながら、路上に残らざるを得ない仲間への、とりわけ、雪、雨時の緊急対応(臨時パトロール)などを集中して行なうと共に、医療相談、福祉行動などの日常活動を強化し、もっとも過酷な厳冬期を乗り越えて行きたい。
四、今後の課題とまとめ
こうやって振り返ってみると、今年も我々は微力ながらも、前に向いて前進し続けて来たことだけは分る。しかし、我々が対象としている人々にとって、我々の十年の歩みは直接には意味をなさない。我々は常に、「今」から始まり、「明日」へと向かわなければならないからである。その「今」を我々の十年が支えていると云って良いのであろう。
辛かろうが、何だろうが、我々が後ろを向いたら、そこで終りである。
だから、今後想定される試練はここでは触れない。目標など掲げず、キッと眼を開き、濁流の中、流れて行こう。さすれば、暴走する事もなく、岩にぶつかる事もない。ましてや逆流など決してしない。
路上の果てには、恐らく、また路上がつながっている。だから、力むこともない、意気がることもない、意気揚々と歩みだけを絶やさず続けよう。冬から冬へは、路上から路上へのつながりでしか過ぎないのだから。
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