2004 冬 2005
微笑みが凍りつく前に |
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冷酷な冬がまたやって来ました。
木枯らしが人を殺すと知ったのはバブルが弾けた新宿の路上からでした。 この国の「失われた10年」は、家と仕事を失い路頭に迷う人々を放置するどころか、それらの人々がさも当たり前かのよう、他人への思いや想像力さえも失った暗黒の10年でした。 木枯らしが吹きはじめると、いつものようマスコミが「ホームレス特集」を放映し、人々は「そう云えば」と都会の寒さに凍える路上生活者を思い出します。まるで年中行事の事のように。 10年前、私たちと共に声をあげ、その存在を社会に問うた仲間たちのほとんどは今、新宿の路上にはいません。ある仲間は死に、ある仲間は福祉を受け、ある仲間は働きに行き、一点に、路上に、留まることなく「今より良い生活」を模索し、そして、それぞれの道を切り開くか、あるいは、切り開く途上で息途絶えました。 ある仲間は叫びました。「野宿なんかもう二度とやりたくない!」 想像して下さい、都会の寒さを。丸裸の寂しさと惨めさを。 夜中、寒さで眠れず歩き廻ります。少しでも身体を暖めようと。歩き疲れて立ち止まると、とたんに身体が震えます。そして足を引きずりながら歩き始めます。 私たちが深夜に出会う人々は、突然声をかけられビクリとしながらも、「何だい、連絡会か」と精一杯の微笑みを浮かべてくれます。その落差の中に私たちは「極限の孤独」を感じます。 かつて坂の上にいた一人の男が路上にまで転落するには様々な事情がきっとあるのでしょう。その事情を詮索する勇気は私たちにはありません。けれど、「失敗したっていいじゃないの」と心底声を掛けたい。「私たちの社会はやり直しができる社会なんだよ」と単なる励ましではなくきっぱりと言いたい。 掛け声ではない具体的なものこそが路上では真実です。理屈や政治で飯が食えるか。生き抜く者同士の共感なくして何が言葉だ。 飯を配り、古着を配り、毛布を配る冬を繰り返しながら私たちは考え続けました。新宿の路上でのたうち回って来た私たちに見えるものは、夢も希望もなく絶望で支配されていると思われた路上にでさえも、幸せを求め小さな夢を見続ける人々の群れでした。幸せを追求する権利?そんな大層なものではなく、それは「路上から脱却したい」と云う小さな夢です。 2004年。連絡会10年目にして、少ない数ながらもその小さき夢は実現しました。しかも、社会的な施策として、 ようやくに。 それでも聞こえる「まだそんな所にいるのかい」。その声は散った仲間の声 私たちは、この冬も仲間と共に新宿路上で過ごします。 |
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越冬スケジュール
12月 5 日(日)第11次新宿越冬突入 |
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越冬カンパ募集中!
路上越冬支援のための現金、米、米券、毛布、ホカロン、衣類等のカンパ、今年もどうか宜しくお願い致します。 <冬場の支援に特に必要なもの> 電話090-3818-3450(笠井) |
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