福祉ー閉じかけた窓口ヘ
ソーシャルケースワーク実践の一場面から
その前に
ある日、私は自分自身について語っている。聞き手は初対面の三人。Aさんは目を閉じて腕組みをして聞いている。口をへの字にしたBさんは、片手で頬杖をつき、時々彼の目は私を見上げて見下げて、そしてそっぽを向く。Cさんは身を乗り出して聞いている。優しい目で、時にうなずいて時に笑顔で応えてくれる。AさんとBさんに私はドキドキしてしまう。何故か思っていることの半分も話せない。彼らは全身でもって私を拒絶しているように感じる。思いついた言葉が一瞬にして遠くに逃げて行く。私は救いを求めるようにCさんに向かって話す。なんでも話せると思う。わかってくれるていると感じ、Cさんの親しい態度に受け入れられているという満足を覚える。
これを心理学では対人コミュニケーションにおける同調という。乏しい知識なので、正確ではないかもしれないが、一方のコミュニケーションパターンが相手の心理や行動に影響を与える。受け入れてもらえないと感じれば、言葉は自然しどろもどろになってゆく。またその逆もある。もちろん男女といった性や社会・文化によって影響の度合いにはかなりの差はあるが、一般的に、人は相手の無言のメッセージを動物的に察知することで、自分の行動を変えてしまうという、とてもデリケートで弱い存在だと思う。
福祉行動で
新宿連絡会のある日の福祉行動。S福祉事務所でのひとつの出来事を紹介したい。
野宿の男性が福祉の窓口をおとずれた。昨夜ベンチで寝ていたところを、2 人組の男達に暴行を受け顔面が腫れ上がっていた。僅かのお金も盗られ彼にとっては絶望的な状態だった。彼を担当したケースワーカーのX氏は、口をへの字にし、彼とは視線を合わせずに話をきいていた。話し終わった彼をX 氏の目が、頭の先から下へ見下げて見上げて…「……で、どうしたいの?」「……」相談者はなんと言ってよいかわからない。彼はうつむいて、小さな声で「病院に行きたいんです」と答えた。X氏は横目で彼の姿を上下に睨み流してから、数枚の書類を出してきて書くように示した。側に付き添っていた私は、「どうぞ、この男性が怒って席を立ちませんように」と祈るような気持ちだった。
その後、相談者が医療機関を受診した結果、脳出血で都立病院に転送された。もし彼がX氏の態度に怒って帰ってしまったなら明日には路上で亡くなっていただろう。
Xさんへ
公的扶助ケースワーカーとしてのあなたの仕事は、社会にとって無くてはならない対人サービスなのだ。人の命を左右する場面も往々にしてある。
福祉の窓口を訪れ、限られた時間で自分の困難な状況を訴え、援助の希望を伝えることは、とても難しいことで、大きな不安も伴う。不安だからうまく話せないし切り出しにくいこともある。そんなとき、ケースワーカーが拒否的な姿勢を見せれば、相談者は怯えるか沈黙するしかない。相談者の生き方は、あなたの感じ方や生活信条とは違っているかもしれない。どうしても受け入れがたく不愉快で共感できないと感じることもあるだろう。その気持ちを否定する必要はない。けれども、彼らの立場を理解してはしい。あなたの人生には色々なことがあっただろう。これからも病気・家庭内のトラブル、もしかしたら失業や心身の障害があなたを襲うこともあるかもしれない。幸いにして困難を回避できたとしても、年をとり身体や心が思いどおりにならず、社会的支援を必要とする時が必ずやってくる。その時、全ての人が健康で幸せに生きる権利のもとで、人としてのあなたの尊厳が損なわれることなく、幸せに生きて欲しい。困窮し社会的に弱い立場になった時に「私は価値のない人間として扱われたくない」という切実な人間観に立って社会福祉は発展してきた。
[誰でも差別されることなく健康で文化的な生活を、仮に自助努力を要請されてもそれに応えるには困難な状況にある者には、即座に必要な支援を行う]という根本を持つ生活保護の直接実施機関にあなたはいる。しかし、その窓口は中に迎え入れられる明るいイメージには遠い。窓におかれた社会復帰へのハードルは見上げるはど高く、そこで困窮者が少しの手がかりにやっと触れても、中に入る資格を問われたり、ケースワーカーとの感情の行き違いから、最後に残った自尊心という宝物を守るため力つき、自らあきらめてしまうこともある。
社会において最貧困の野宿者、過酷な困窮状態にある人々に接しているあなたにこそ期待したい。かけがえのないひとりひとりが、あなたの前に不安を抱え、最後のよりどころとして福祉の窓口に相談に来ていることを受け止め、個人的感情や道徳的判断でその窓を閉じることなく、どうか、あなたの手で開け放し、相談者の声に耳を傾けてもらいたい。
(了)
(季刊「Shelter-Less」9号より)
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