地域生活移行支援事業の今日 何を発展させ、何を課題とすべきか?

新宿連絡会・笠井和明

(2005年6月記)

 薔薇の花が咲き、梅雨に入り紫陽花が土の色を照らす2005年6月。新宿の路上風景はだいぶ変わった。

 「あいつはどうしてる?真面目にアパート暮らししてるかい?なんか心配だなあ。いつでも面倒見てやるから戻って来いって伝えといてくれや」
 相も変わらずテント暮らしを続けている仲間はそう笑う。
 「冷蔵庫ってのは、いいよな。ちょっとやそっとで腐らねぇもんな。電気代かかるけど、まあ、そんなにかかんねえしな」
 相談所に遊びに来た元テント暮らしの仲間の顔は、じょじょに普通の生活者の顔になっていく。

 新宿の地で初めて実施された「ホームレス地域生活以降支援事業」が、新宿の地に何をもたらしたのかと云えば、ほんのささやかな暮らしの灯火みたいなものなのであろうか?

 そこには大事業お決まりの「混乱」や「喧騒」の影はどこにもない。いつの間にか始まり、そして、いつの間にか終わり、その過程の中で公園の姿はじょじょに元に戻って行った。まるで魔法使いが歴史のねじをちょっとひねったかのように。
 もちろん、これは表面的な事柄のみであるが、人生のある種の決断をする時は、それは静かな環境の方が良いに決まっている。生卵が飛び交う中ではまともな判断など出来はしないものである。
 「当事者の判断」に全てを委ね、正確な情報の提供のみに終始した今回の我々の手法は、「当事者の判断」と「当事者の能力発揮」を最優先させる事業として最低限の合意ラインが確定されたからこそ出来た手法であった。昔日の感はあるものの、「なんだ、やれるじゃないの」と、云うのが、本当の気持ち。
 交渉を重ねた。集会やデモも打った。最低限の環境を作った。取引含めてその他もろもろここでは云えないようなことすべてを行った。仲間はそれに参加したり、見たりしていてくれていた。だから、後は「あなた方の問題ですよ」と言い放つことができ、また、当事者も「あとは俺らの問題だ」と云う意識が作られた。あとでいろいろと聞くと、多少の甘い期待はあったようではあるものの、今や「やっぱ、自分でやらなけゃね」と云う意識が強くなっている。まあ、それだけでも雲泥の差である。今回の個々の葛藤と「変わらなきゃね」と云う大小の意識が、それぞれの人生の中で有意義なターニングポイントになりさえすれば良いと思う。残った仲間も、これからのことを様々考えるきっかけくらいにはなったであろう。

 史上稀に見る路上生活者の施策は当人の意識をじょじょに変えながら、いつの間にか進化していた。

 中央公園=事業対象者276名中事業参加者193名、戸山公園=事業対象者246名中事業参加者228名、墨田区立隅田公園=事業対象者167名中事業参加者105名、台東区立隅田公園=事業対象者156名中事業参加者89名。
今日までの数字を見ると、事業対象者の内72.8%もの人々がこの事業を利用している。西部圏だけだと何と81.3%もの数字になる。
 当初、我々でも事業参加者は6割7割と考えていたので、予想を上回る仲間が移行を果たした事になる。この傾向は、現在進行中の代々木公園でも変わらないようである。

 何故、想定以上の仲間が今回の事業に参加したのか?

 何らかの政策的誘導があったのではないかと穿って見る向きもあるかと思うが、そのような動きは公園管理の立場からあったのは事実であるものの、西部圏においては、その都度我々が食ってかかったり、交渉したりをしており、全体からして大きな規定力にはなっていない。今回の事業で公園からアパートへの誘導部分(もちろん、利用したいと云う意思を持った者へのであるが)を担ったのは受託民間団体であり、情報提供以上の関わりは公園管理事務所と云えども担えなかった。今回、公園管理事務所サイドが担ったのは、事業実施期間中の新規流入防止(事業混乱防止)くらいなもので、また、無用な公園内の工事で当事者を圧迫する等の圧力も一切なかった(公園の周辺道路を管理している東京都第三建設事務所はどさくさまぎれの工事を実施していたが)。
 また、受託民間団体も多少の温度差はあったとしても、事業の説明と、事業参加を希望した者への入居サポートと、ほぼ仕様書通りの仕事をし、また、東京都との会議を幾度も開き、細部についての取りまとめをして来た。事業を担った個人の「うっかりミス」や、ある種の思い入れはあったとしても、それが全体を規定するような要素は今回の事業の中では皆無である。端的に云えば、経験のない素人相談員に「騙される」程、当事者は馬鹿ではなく、また、人を「騙す」程、今回のサポート相談員は悪意や利害関係はなかった。今日の利用者の中でも、「あいつに騙された」と云う声がほとんど聞こえないのも、そういう事の現れであろう。
 もちろん、すべての利用者が自らの判断で決断したとは云えないかも知れない。たとえば、隣人が移行したので「なんとなく自分も」と云う仲間もいるであろう。それでも消極的には「いつまでもここにいられない」、積極的には「元の生活に戻れるせっかくのチャンス」等と自分の経験と頭で考え、そして自分で決断をした者が大半であろう。

 路上生活の負の側面などは一番当事者が知っている。ある仲間は、アパート移行後ひと月ぐらいして、「ようやく夜眠れるようになった」とこぼした。何故なの?と聞いてみると、テント生活の時は夜は怖くてほとんど寝ていなかった。酒癖の悪い隣人。夜中でも騒ぎ立てる若者。火事の恐怖。いつでも目が醒めていた。テントを出るぞ出るぞと何度決めた事か、それでも出られなかった。自信がなかった。今回のアパートの話を聞いて、これだと思った。
 当たり前の事ながら他人が思う程、路上生活は楽な生活ではないのである。また路上のコミュニティとやらもまた同じく。「理想の生活」や「理想のコミュニティ」が路上にもしあるとするのであれば、それを路上に押しとどめるのでは、傍観者以外の何の意味もありやしない。

 自分で決断したとは云いながら、誰もがアパート生活に確信的な自信を持っていたとは限らない。そりゃあ新たな場所への移動、人間関係、生活環境の変化は誰にとっても「不安」である。経済的にもいくら家賃が月3000円とは云え、不安定職に従事していた者にとっては最大の「不安」である。東京都の臨時就労も半年と限られている。その先の事も、また、2年後の更新問題もまた「不安」である。が、「不安」であることが決して事業への不参加へと結びつかなかった。多くの仲間は、「不安」であることを前提に、事業に参加してきたのである。
 ここに、一人ひとりの「決断」の意味があるように思えてならない。
 不安であろうがなかろうが、多少の条件が合わなくとも、多くの仲間は、現状維持よりも、現状変革の選択をしたのである。

 「去るも地獄、残るも地獄さ」と、知りあいの仲間に冗談めかして言った事があるが、当人は冗談とは受け取らず「悩み所だね」とポツリ。そして、しばらく経った後「行ってみるわ」。
 当事者の口からは多くは語られないが、このままでいるよりも、新しい何かをこの事業の中に見いだしたと言える。そして、その「決断」こそが再出発の原点になっているからこそ、脱落率がきわめて低い(西部圏において、現在まで病死4件を除けば、脱落は3件のみとなっている)と考えられる。
 「野宿の方が良かったよ。月末なんて関係なかったもんな」とうそぶいて語る利用者からは、路上時代にはなかった安堵感が見られるのも嬉しい限りである。生活水準の下落は、これまた他人が思う程、簡単な事ではなく、そこに抵抗棒がある限り、それにしがみつくものである。それがテントからアパートに変わっただけであるが、その変わった事こそが肝心な事なのであろう。

 それでは全ての施策がこうも受け入れられていたかと言えば、決してそうでもない。先の展望がなかなか見えない自立支援システムでは中途脱落が多いし、生活保護にしたところ役所の仕切りが高すぎる事もありよほどのプッシュをかけなければ容易に動くものでもなかった。また、今回の事業にしても、第2ステップでの宿泊所を義務化していれば、これも違った数字になっていたであろうし、また、第2ステップを大規模宿泊所にしたら尚更数値は変わっていったであろう。アパート生活と云う、誰にも分かる展望がより身近に思えたからこそ、そして当事者の意思を尊重するという姿勢を全面に立てたからこそ、今回の事業は広く受け入れられるものになったのであろう。考えてみれば、それもそうである。「保護してくれます」云うても、当事者には何のことやら、具体的にどうなるの?どうしてくれるの?と云う事が先に行ってしまう。それに反して、今回の事業は、「こことここまでやります。後は自分で頑張って下さい」と、かつての事業が曖昧だとすれば、明確な提示があった。そして低家賃アパート生活と云う分かりやすさもあった。
 今でも自立支援事業を仲間に説明し、納得してもらうには多くの時間が費やされるが、移行支援事業は実に簡単で「役所が安いアパート紹介してくれんだってさ」の一言で概略は済んでしまう(もちろん、細かな点はしっかりと説明してきたつもりだが)。いくら難しい「自立支援」を語ったところで、当人達の心に響かなければ意味がない。また、逆にいくら簡単であったとしても、当人達の意思を尊重しなければこれまた拒絶される。その、微妙なバランスの上に今回の事業はしっかりと乗っかっていたと云うべきであろう。そして、この手法は今後もしっかりと総括されるべきであると思う。

 この一年は連絡会の総力をあげたたたかいとなり、まさに満身創痍であり、個人的には慢性胃痛となってしまったが、一つのお手本をここに示せただろうと思う。  それでも、全体をみれば、これもほんのささやかな前進にしか過ぎない。学習すると云う事を忘れない限り、社会は96年と04-05年を比較し、その意味をいずれ理解する事だろう。

 最近、ようやく事の事態を認識し始めたマスコミがわんさわんさと群れ始め、何やかんやと知ったかぶりをしながら取材に来る。曰く「アパート生活本当に大丈夫なんですか?」「半年後はどうですか?」「2年度はどうなるんですか?」「うまく行かなかった人に合わせてもらえませんか?」  まあ、どっかの団体と同じであるが、レベルはこんなものでしかない。社会の餌を拾い歩く彼、彼女らは今回の事業も決して長きに亘る一連の経過として見はしない。恐る恐るのぞき込んで重箱の隅をつつくような取材をする。
 静かなる公園からの移行に、恐らく社会は戸惑っているのであろう。必ずそこに行けば、居ると思う人々が今はいない。こりゃあ、何かあったに違いない、という案配。日々刻々と動いているのが、路上であることを知らない人々が取る典型的な発想。
 その意味では、我々は、路上生活者の存在に慣れすぎてしまっているのかも知れない。社会の矛盾やひずみの現象であればある程、それは修正されて行くのは当たり前の事である。
 また、路上生活者が地域生活に容易に復帰出来ないなんて考える事こそレッテル張りの極みである。そもそも多くの路上の仲間はこれまで地域生活で細々と暮らして来た生活者である。路上生活は人生の中の一時期の「不幸」の表現でしかなく、戻るきっかけさえあれば、容易に戻れる者が大半である。と考えなければならない。もちろん中には集団生活しかしたことがない者や、長期に亘る路上生活によってある程度の訓練が必要、または精神的な疾患により、とうてい一人暮らしが無理な者もいる事はいるが、それを基準に考えてしまうならば、結局は「収容」して「再教育」と云う堅苦しい施策になり、そうではない圧倒的多数の人々を置き去りにしてしまう。
 「中間施設」を作るたびに周辺住民に「大丈夫です、しっかり管理します」などと説明して安心感を与えて来た事から考えれば、今回の事業はまるで冒険的に映るのかも知れないが、「ホームレス」なる属性を取り除けば、ただの「おじさん」や「おばさん」なのであり、「ホームレス」だから「危険」であるとか、「何をやらかすか分からない」と云う訳では当たり前ながら決してない。人より「不幸」をより見てきただけの人々である。
 今回の事業が、この観点から出発し、そして実施されている事の評価は、かつて実施前にどこかで書いた気がするが、画歴史的な事業であると云う評価は今も変わらない。
 「大丈夫ですよ、しっかりやってますよ」  と、常に取材に応えているのであるが、それを見せろとか、お前の話しだけじゃ信用ならんだとか、まあ、社会は喧しいものである。

   「しっかりやっている」事は、今回の臨時就労者の勤務状態を見て、その事業者が驚いたと云うから、これは間違いはないだろう。事実、多くの業者がその後本採用もしてくれている。「ホームレス」はアパートに生活できるだけではなく、しっかりと働けるのである!  まあ、それはともかく、業者の中には、仕事のブランクがあると云う事を理解してくれ、働き方の環境まで配慮してくれている業者もある。失業者対策的な事業は業者負担が大きく、あまり積極的に関わりたくない仕事であるようであるが、それでも、単に能力的、やっつけ的に仕事を割り振るのではなく、チームとしての連携を常に大事にしてくれ、工区の最終日には皆で鍋を作り「無事終了祝い」をしたりと。就労習慣を取り戻すと同時に皆で働く事の喜びを実感できるような、まさに理想的な臨時就労なんてのもあったりする。
 そこまでしてくれなくとも、多くの臨時就労業者の評価は「しっかり仕事してくれ助かるわ」である。もちろん最初の頃には遅刻したとか、無断欠勤したとか、そんな事はしょっちゅうであったが、それでくじける仲間は少なく、大半の仲間は継続していく内に、何らかの前向きな変化が生じてきている。
 「いやあ、10年ぶりの仕事だよ」「酒飲まずに行けるか心配だよ」なんて仲間も、最初はきついきついとこぼしていたが、その内「もっと仕事ねーかね」。
 確かに臨時就労の量の問題は根底にあって、限られた資源を配分しているに過ぎない以上、年度末などは仕事量が極端に減るに従い、困窮する仲間が急増し、急きょアルファ米の大量放出なども行たりとどたばた続きであるが、働くことが出来るとの実感を多くの仲間に提供できたのは、この仕組みならではの事であろう。時間の使い方や、就職先の限定などでは自立支援センターとは、ある意味正反対の仕組みとなったが、生活安定のため、アパート維持のため、どんな仕事でもしていこうと云うアプローチは全体としては理にかなったやり方であったろう。型にはめようとするならば、全員常雇いでの再就職となるのであろうが、それに拘らず、日雇いを続けている仲間もいれば、ビッグイシューを販売している仲間もいると云う構図は、それがたとえ施策的に間違っていたとしても、現実的には最も受け入れやすい選択であったろう。事実、就労支援センターが求人開拓で確保する仕事は臨時、パート的な仕事が最も多く、それがある意味、現実の需給関係である。そんな仕事をつなぎつなぎ、時には炊き出しに並んだり、山谷対策に潜り込んでみたり、ありとあらゆる手をつくしながら生活を維持しようとする当事者の涙ぐましい努力の前に、さすがにあれはいかん、これはいかん、とは東京都も云えまい。
 その昔、新宿区の応急援護の窓口で、明らかに近隣住民と思える方が物品を貰いに来る姿を何度も見ていたが、応急的な施策は何も路上生活者に限らないのも、これまた当たり前なのである。そんな関係の中に、困窮した底辺の人々と路上との密接なつながりをかいま見るのである。地獄を一度見た人々が再び底辺に戻る事の可能性なんてものを夢想し、個人的には興奮したりもしている。

 東京の西部圏の事業利用者は、再就職支援セミナーと云うものを定期的に開催し、再就職への個人相談とあわせて実施をしている。そんな事あんまり意味ないじゃん、などと思うことなかれ、これがまた工夫に満ちていておもしろい。実は、再就職支援セミナーが緊急一時保護センターの技能講習として実施されていた頃から関わっているのであるが、最初の受講の立ち会いをした時から、「目から鱗」であった。最近はどこのハローワークでも実施されているようだが、ここのセミナーは講師の方(NPO働きたいネットの佐々木理事とキャリアカウンセラーの野村先生)が実に熱心にかかわってくれている。ハローワークなどでやられているセミナーは高学歴、高収入向けのものとレベルが高いものが多いが、路上の人々の現状に沿って実施されるこのセミナーの講師の方々はとにかく「聞き上手」。話してもらう事から社会の接点をもってもらおうと恐らく考えているのであろう、熱血漢ではなく理路整然。適当な事をはなしても具体的な質問が返って来るから、言葉にも責任があると云う事をいつも学ばさせてくれる。再就職とは単なる技術やノウハウではなく、自分の社会との接点をもう一度振り替えり、もういちど接点を造り出して行く事であると云う哲学をもったセミナーなのである。まあ、そんな事を考える受講生は少ないものの、セミナーなんて高嶺の花と考えていた人々が「ほほう」とか「あれえ」とか「うーん」とか云いながら自宅に帰る姿はこれまた見ていて実に楽しいものである。
 人の話しを聞くと云う静かな行為の中に、決まり事だけ並べてやかましく云うこれまでの「指導」とは違った支援の仕方を発見もしたりする。通常の失業者と違い、社会との接点との乖離が長期化している人々に荒療治は逆効果になり、また、限られた人々との関係の中で自らは呪縛してしまいがちである。我々のみでの支援は、逆に彼、彼女らの苦境時代を知っているが故に同情的になりすぎるきらいがある。これも限られた人々との関係でしかない。それもまた必要な事ではあるが、開かれた関係性への回路は、再就職のためには必ず通過しなければならない。
 路上に拘りつづけ、路上の関係性に終始する者がいても一向に構わないが、それでも、大半の仲間は、路上の関係からはいつかは離れ、「ああ、そういえば、そんな時代もあったな」で終わる事を願う。職場の新しい関係、地域での新しい関係、つれあいを見つけても良い、別れた女房とよりを戻しても良い。普通で平凡な暮らしこそが、そしてそこでの個々の能力の発揮こそが希望でもある。我々の存在などは、いつかは消滅することを宿命づけられているのであり、あえて昔の関係に固執することもない。
 アフターフォローが必要だと主張する人々の中には、その事を理解していない人々が実に多いのであるが、 ある程度の軌道に乗りさえすれば、あとは野となれ山となれ、街であったら目配せしながら、お互いほくそ笑み合おうの世界である。
 もちろん、2年という時間の幅がどうなのか?ある程度の軌道とは具体的にはどの点を差すのかなどの、施策上の課題はまだまだ残っている。そして、ハッピーエンドで終わらないだろう人々もこれから出るだろう。再就職しました。ないしは生活保護を受給しましたでは、決して終わらないのが人間の業とでも言うか、この世のどうしょうもない所とでも言うか。まあ、それもこれも引き受けながらのたうちまわり、きっとその中から、何らかの答えが出てくると思うのである。

 この事業の不安点は事業開始前に幾点かあった。ここでは気になっている数点だけを挙げよう。
 まず、公園管理サイドがこの事業にどの程度の協力もしくは非協力をするのかと云う点であったが、たとえば新宿区の公園土木課などは、「今まで苦労してきたのだから、もう解放してくれ」とばかりに、事業が終了したと云うのに過敏な新規流入防止を一点張りで続けている。本来ならば、特別区も事業利用者の再就職先として公園関連の仕事等を優先的に割り当てる等の工夫や努力が必要なのであるが、まさにいなくなったらこっちのものとばかりに、そういう発想すら生まれて来ない。公園の清掃業者などは、斡旋されて面接に行ったら「公園にいた者はトラブルが予見されるので使わない」と言う始末で、まったくのお荷物扱いである。
 また、墨田区などは事業開始にかこつけて公園を閉鎖するなど実に無茶苦茶な手段を用いて事業の非協力を貫いている。区部の言い分はこうである。「事業の就労部分は東京都の責任で実施する約束であったから、区部が区民の税金を使ってやる必要はない」。地域生活移行支援事業とは、言うまでもなく新たに地域生活者、つまりは区民を生み出す事業である。新宿区に縁あって住み着いたものが合法的に住民になって、将来しっかりと定住し、税金でも払ってくれれば万万歳の筈なのであるが、何故だか、どこもそういう発想はないようである。よそ者を吸収しながらこれだけでかくなった東京のくせして、新たなよそ者は受け入れませんでは、江戸の文化が泣こうと云うものである。こと新宿で云えば、貧民や流民の力でこれだけの都市になったと云っても過言でない宿場町としての歴史と文化がありながら、「ホームレス」だけはダメよでは、もはや理解不能と云えよう。かの目立ちがり屋区長が新宿の事を判っていないと批判される謂れはここにある。 民間団体も協力しながら社会で受け入れようと努力しているのに行政の悪しき弊害を持ち出されて困るのは当事者である。新たな困窮者を再び作る街にはしてもらいたくはないものである。
 もう一点は、事業の硬直化である。これもまた行政の悪しき弊害であるが、ここまで当事者の解決能力を信用して事業を進めて来た以上、それを発展させずに何が残ろう。たとえば、借り上げ住居で生活しながら彼女が出来た。真面目に話して、一緒に住もうと云う事になった。いやはや、うらやましいと云うか、美しい話しじゃないか、と云う事で、実質的な大家でもある東京都に談判に行ったが、「それは駄目」と云われた。「契約上、居住者は一人となっている」からである。ならば、二人用の住居を新たに探したっていいじゃないの、二人の地域生活への門出を祝ってあげようじゃないの、と普通は思うのであるが、何故かそうはいかないようである。もちろん、様々な提案をし、民間団体が独自の力も発揮しながらあれやこれやと工夫しながら支援策を続けているのに、根幹がこれではいかんともしようがなくなる。こんな感じで事業が硬直し始めると、自立支援センターの二の舞いになりかねない。いかに現状に則した柔軟な施策が出来るのかが、今後の鍵であると考える。

 最後に、この事業は5大公園対策との事で今年度で入居事業は終了する事になる。そして、来年度以降の方針は、残念ながら未だ決まらずである。単なる歴史のあだ花になるか?それとも、現行の自立支援事業をも巻き込んだ、今回の事業の発展形としての再編が出来るのか?その瀬戸際に立っているのが現状である。それは予算はあまりかけたくはないのであろうが、これで終わったとしてたかだか1200名前後の移行が済むだけである。残った仲間には何もなし、今まで通り細々と自立支援事業をやっているから、抽選が当たったら是非来てね、では洒落にならない。新宿の路上風景が変わったと云っても、それは二つの公園だけであり、駅周辺は何も変わらず、また小公園も同じく。何も変わらない風景は依然残り続けている。目立つ所からいなくなれば、それでこの問題が終わったと考えるのであれば、それは大きな間違いであろう。ここで手を抜けばまた数年の内に、また同じ事の繰り返しである。そんなイタチごっこはもうやめるべきであろう。
 新宿で云えば、流入者に対する即座のフォローのため新宿駅周辺での夜間アウトリーチと、緊急シェルターの設置、そしてそこから自立支援なり、生活保護なり、移行支援事業にすぐさま乗せる事が可能な大胆な施策など、路上生活をもうしなくても良いんだよと思わせるようなシグナルをしっかりと送らなければならない。長期化させればさせる程、問題が複雑怪奇になってしまう事は、今回の経緯の中でも明らかだろう。新宿区がもうテントとかかわりたくないと云うのであれば、最低限の予防策を「人生の終着駅」たる新宿駅周辺張り巡らさなければならないだろう。そこまで出来ないと云うのであれば、生活保護適用基準(区独自の内規)を稼働年齢層まで大胆に引き下げ、かつ就労支援を加えるなど、法内保護の弾力的運用を図るべきであろう。
 行政の人々は、何故今が施策上の大チャンスと思わないのだろうか?路上生活者に慣れっこになってしまったのは、行政もまた然りである。これじゃ、いつまで経っても後進国のままである。

 ここまで来たと云うのに課題は山積。前からも後ろからも弾が飛んでくるわで、何ともヤレヤレであるが、ここで諦めちゃ、せっかっくアパートで夢をつかんだ仲間に申し訳ない。先駆者の地と汗と涙を引き継ぐのが我々の唯一の存在意義なのであるから。

(了)