新宿区の「推進計画」は無かったものにしておくれ

新宿連絡会 笠井和明

 昔話ばかり書くと、もはや過去の人と揶揄されそうであるが、かつて新宿で先行実施された自立支援センター暫定実施が北新宿寮と云う今や駐車場になっている場所で実施されていた頃と、その顛末をふと思い出している。
 人の記憶と云うのはいい加減なもので、いつも炊き出しを手伝ってくれていたとある無口な高齢の仲間が「あの時、私も連絡会の人に切符をもらって長い事、施設で世話になった」と漏らした言葉で「ああ、あの時の」とようやくその仲間の顔が西口地下広場の焼け焦げた映像と重なった。
 もはや8年前の事である。
 咄嗟の事で体制も何もない行政から大田寮行きの切符(整理券)を託され一人一人のダンボールハウスを回った時、次第に薄くなっていく片手の整理券に「生殺与奪権を握る者」の泣きたくなるほどの苦悩と云うものを初めて味わった。炊き出しがなくなれば買ってくる事も出来る。ハウスが撤去されれば別の場所で作る事も出来る。けれど大きな仕組みへの参画権だけは買う事もすばやく作る事も出来ない。夢は一時に潰える。「切符よ無くなるな、無くなるな」と心の中で私たちは必死で叫んでいた。
 「最後まで面倒を見る」今思えばとても抽象的な約束事で172名の仲間が越冬施設なぎさ寮から暫定自立支援センター北新宿寮、さくら寮、そして暫定施設故閉鎖された後は35名が宿泊援護事業と云う名の民間宿泊所へ、そして火災から一年後の早春、静かにこれらの事業は終了した。
 努力してもどうにもならなかった仲間は20数名いただろうか、都の担当者は言った「財源が厳しい。いつまでも続けられない」。私たちは中央公園で越冬で余った毛布を用意し待った。一人、一人、戻って来た。気の効いた仲間が公園の一角を指さし、「テント作ろう」と言った。それぞれ自分の場所を確保し粗末なテントが出来あがった。再び「面倒」を見たのは私たちだった。
 思えば中央公園のテント村はそうやって施策からこぼれた仲間によって「開拓」された村であった。無口で高齢なその仲間がその時、中央公園に戻って来た仲間だったのかは記憶からこぼれている。情けなく一人ひとりの顔を無意識に覚えようとしなかったからだ。しかしどんなに顔を背けようと、その仲間、否、多くの仲間が路上に戻って来た事だけは確かである。
 もはや省みられなくなったあの時の自立支援センター暫定実施は失敗に終わったのである。

  総括なくして事業を語るなと言いたいのであるが、行政施策はおうおうに総括なくして適当に進んでしまうようである。未だ東京都の合言葉は「走りながら考える」であり、これだけ走ったのだから、この辺でしっかりと総括し戦略化し腰を落ち着かせた施策をしましょうとは何故だか行かない。長期戦略が下手なのは仕方がないが、どうも行政施策と云うのは生き物のように流動的なもののようである。むしろだから「あ〜でもない、こ〜でもない」議論が経緯とか歴史を無視して百花繚乱するのであるし、歴史も逆戻りしたりするのであろう。
 その中で孤高のシステムを珍しく堅持しているのが自立支援センターと云う施設である。 最新統計を見て驚くなかれ、入所累計は6220名、就職率は83%、就労自立者は3023名、51%と云う数値(18年1月末現在)を平気ではじき出している優等生クラスの事業である。東京の路上生活者が固定していると仮定すれば5年前5700名の数が2700名くらいに半減している筈のスーパー施策なのであるが、どうも関係者の話しを聞くとこのシステムは何故か評判が悪い。
 「後腐れなくて良いんじゃないの」なんて云うとあちこちから矢が飛んで来そうな雰囲気でもある。曰く「就労自立の数字はごまかしがあって、就労後、多くの人が路上に戻ってきている」「最後まで責任を持たないシステムである」云々。
 しかし、自立支援センターの目的からすれば自立率はプログラムの一つの成果であり、無論瞬間値でしかないけれども、「その後の事なぞ知らないよ」で構わないのではなかろうか。自立支援センターはそもそもの設計上福祉の施設ではなく、就労のための施設であり、その点の誤解と云うか、福祉的発想からする就労支援の無理解が高じて、就労支援を骨抜きにしようとしている向きがあるのではないかとも思うのである。何を血迷ったか、いつの間にかアフターフォローなる言葉がどこともなく発せられ、皆がそうだそうだと合唱し始める。そんな事云ったら「どこまで責任もつのですか?」の答えが必要であろう。
 自立支援センターの箱物は単なる無料宿泊施設である。その機能の上にハローワークと連携した職業相談のプログラムが加えられ、更に住宅相談が付随すると云う三重構造で成り立っている。おべっかではなく、ハローワークはこの十数年の不況の中で再就職に向けたノウハウをかなり培って来ており、「優良労働力」を主に扱う民間有料職業紹介事業者とは比べ物にならない位の実力を、こと「普通の労働力」に関しては持っている。確かに自立支援センターの職業相談員は元ハローワーク職員ではなくなってはいるが、ノウハウの組織的な継承力と情報力に関しては恐らく右に出るものはないのではなかろうか。私たちのNPO部分において無料職業紹介所を有しているが、営業をしなくても情報が集まるハローワークと比較したら雲泥の差があり正面戦ともなればとうてい太刀打ちなどできはしない。棲み分け論で云えば小回りの効く無料職業紹介所は地域に根差しながら小さな情報をこつこつと集め、「すき間産業」のような独自の営業能力と信頼関係を発揮し、登録者との二人三脚的求職活動を親身に行うと云う役回りになるのであろう。
 よく言われるが「面接活動なんてお見合いのようなもの」なのであり、数打ちゃ当たるの精神で、最低限のマナーで接していけばどうにかなったりするのである。自立支援センターの利用者からは「二社とも採用されちゃったけど、どうしたら良いかね」なんて相談もある位である。
 「それは一般求職者の話しであり、路上生活者は違う」と云う議論も良く聞く。もちろん本人のモチベーションやコミュニティ能力の差は当然あり、だからこそキャリアカウンセリング的な手法も必要なのであるが、少なくとも世に出て仕事をする段階の時、面接に同行する、字を書けるのに履歴書を他人が書いてやるなんて、これはもはや「おせっかい」以上の何ものでもないと思うのである。ありのままの姿をさらし続けて仕事を獲得する姿勢を支援せず、福祉的観点からそれをねじ曲げようとするのはこれは最もしてはならない勘違いでしかない。
 それでも仕事に就けない人はどうするのか?それでもすぐに辞めてしまう人はどうするのか?この点は自立支援センターの問題ではなく、グループホーム等未実施の自立支援施策体形全体の問題となるのである。
 自立支援センターの機能は「意欲のある奴をさっさと仕事に就かせて元の生活に戻ってもらう」事が目的で、それ以上でもそれ以下でもない。そこは純粋競争であり、落ちこぼれが発生した所で、よほど問題ある支援をしていなければその責を問われる場所ではない。その意味で合理的機能的な孤高のシステムであり、その点はしっかりと評価(総括)する必要があるだろう。

 自立支援センターが改善されなければならない点は就労自立への幻想を断ち切り、どこまで就労支援に純化出来るかと云う点であろう。いかに就労支援と云えども、元路上生活者故に生活設計を描かねばならず、その場合どうしても「高い目標設定」が前提とならざるを得ない。すなわち、短い期間で効率よく回転させるためには、職業を選ぶと同時に、高い給与、長い拘束時間の職場を選択させる事が最善であると云う「強迫観念」がどうしても働いてしまう。
 しかし、いかに景気の波が回復しようとも、雇用環境は高度成長期のものとは明らかに違い、非正規雇用が主流の流動的な労働力政策の時代にステージは変わって来ている。政治的にそれが良いか悪いかはともかく、生きていくにはこの環境に適合しなければならないのも事実である。
 役人が設計する「就労自立」は今の雇用環境の中ではもはや幻想と化している。社会保険があって、完全月給制で、賞与もあり、組合もあり、月手取り20万前後もらえる仕事、なんてものは高度な技能や経験があるか、それとも若年層かで初めて狙える代物であり、50過ぎの再就職組には夢また夢物語である。
 しかし、それよりも低い求人は東京において山ほどある。雇用トレンドは既に変わっており、人口が密集し複雑化した都市では人手不足は日々深刻化してくるだろう。もちろんその多くが中小零細企業であり、過密な労働を強いるか、賃金単価を抑えたり、労働時間を抑えたりしながら雇用を開始する。
 手取り十数万円が現実なのであるならば、手取り十数万を基礎とした「就労自立」に設計変更しない限り、自立支援センターがいかに効率的な仕組みであったとしても、その点でのミスマッチは永遠に続くであろう。かなりの無理をさせて「就労自立」を目指すプログラムから、現実的な「就労自立」を目指すプログラムに変更しさえすれば、就労支援の機能が更に生かされる筈であろう。無理をさせれば必ず破綻は起こる。就労自立後の再路上化を可能な限り防ぐ手段は、訳の判らぬアフターフォローではなく、低い賃金でも暮らして行けるような現実的な生活設計を再構築し、就労の幅をより広げる事である。
 自立支援センターは「様々な現実的支援が行える仕事センター」に特化することが恐らくこの優秀な機能と蓄積された経験が生かされる最善の道である。
 入所期限と云う概念と利用期限と云う概念の変更もまたこれに伴う大きな変更点であろう。入所期限が設定される事に異論はないが、最短、最長と云うある程度のフレキシビリティがそこになければ画一的なものにしかならない。端的言って、努力と運と云うものは時間では図れない。しかし努力目標の時間設定は可能である。その努力目標値を個々のモチベーションや能力に沿ったものにして行く事こそ就労支援カウンセリングの第一の仕事でもある。画一的な時間制約の中では努力目標値が十分に描けない事をこそ問題にすべきであろう。
 また、利用と云う概念もこのシステムの中に付け加える大きな要素である。終身雇用の世界にどっぷり漬かり、自身が再就職などした事がない役所が思い描いているよう「再就職は一度」の筈はなく、たとえ自立支援センターで良い条件の仕事が見つかっても、その後は転職の繰り返しになるのが中高年齢者の現実的な姿である。企業側にとっても、労働者側にとっても、このような流動的な雇用環境の中で必死で生き抜こうとしている。「より良い労働力を」と「より良い条件を」のせめぎ合いなのである。
 その場合、一度利用したから二度とは使わせないと云う就労支援の形はあまりにも非現実的でありすぎる。自立支援センター卒業後も一定の期限を区切るか、一定の条件を定めるかしながら、「再々転職」「再々々転職」のためにセンターの就労支援機能を再利用、再々利用できるようすべきであろう。アフターフォローなどと云う抽象概念ではなく、「今よりもより安定した生活」を現実的に手に出来る仕組みにアレンジするだけの話しであり、システムを大きく変更する事なく、上記の改善は、せいぜい人員配置の問題くらいで解決できる手法である。
 雇用情勢などと云うものは刻一刻と変化をしている。福祉施策のよう十年スパンでしか動かない代物とは違うのである。稼ぐと云う行為は時代にどれだけ追いつけるのかであり、そのためには施策の側がいかにタイムリーな施策が打てるのかが勝負である。
  決して十分ではないとは思うものの、6000名近い路上生活者がこの自立支援センターのプログラムを潜って来た。それこそ東京の路上生活者が固定していると仮定すればほぼ全ての者が利用した事となる。  このシステムと実績が示唆するものは、東京の路上生活者の約半数は低い意味での「就労自立」はまったく可能であると云う事である。今後も昨今の雇用情勢をしっかりと認識し前記のような改善をしっかりと試みさえすれば、問題とされている再路上化は一定数防げるであろう。

  同じような結論がおもしろい事に地域生活移行支援事業でも見えて来る。こちらはまだ試行的な段階であるとは云え、16-17年度の実績を見ても約5割近い利用者は低家賃住宅政策のおかげで第4ステップ(行政が夢想する高い意味での「就労自立」)に行けずとも低位の労働、低位の収入でなんとか暮らしていけている。生活保護だ、就労自立だと上下からの喧しい声などなんのその、数値上は生活保護基準以下の収入しかなくとも福祉を心よしとせず、それぞれの生活力を発揮しているのである。
 地域生活移行支援事業は2年と云う住宅施策のスパンがあるため再路上化は防げている。その点が自立支援センターとは違う所であるが、低家賃住宅政策が制度的に確立していないため財政的にも不安定な点が今後の禍根の種でもある。その点を力づくで打破するため、自立支援センター並みの高い意味「就労自立」を求めたりするならば、結果現状のセンターと同じ矛盾が孕まれて来るであろう。
 ならば9割は生活保護だと云う原理主義者が出て来そうであるが、東京の都区負担率の対立構造がある以上、アパートから宿泊所、宿泊所から緊急一時保護センター、もしくは路上なんて云う「地域生活移行」とは逆行する流れも容易に生み出されるだろう。生活保護なんて云うものは「仕方がなく」受給する制度であり、「仕方がまだある」人々に他の手段がないからと云って適応する制度であってはならないと思うのである。誤解を恐れずに言えば、そんなのは駄民政策である。

  ついでに論じれば、生活保護の自立支援プログラムは、現状では低い意味での「就労自立」しか求めていないようだが、その実行があがらなくなれば、その内自立支援センター並みの「就労自立」が求められるようになるだろう。さすれば路上からの生活保護なんてものは「病院付きの大きな自立支援センター」にしかならない。何だか悪夢を見ているようだが…。

  福祉の役割がどこにあるのか?それは残りの5割にあるに決まっている。ここまで社会資源を投入しても尚、低い意味の「就労自立」にも結び付かないのであれば、別の要因があると考えるのが普通であろう。その究明と解決のために福祉事務所のもつノウハウを投入するのは、まさしくこれは本来業務としての福祉である。
 つまりは、何でもかんでも福祉に押し付けないで役割分担をしましょうと云う事である。

  おっと、編集部からは新宿区の「推進計画」について書けとのお達しであった。忘れる前に書いておこう。まあ、すっかり忘れる程つまらないものであると云う事である。
 「推進計画」で書かれてある事は「新宿区はホームレスに使うお金がありません」と云う事と、「生活保護は勘弁してね」「その代わり法外援護にちょっと力を入れるし、都や国に文句を云うから見のがしてね」と云う「推進計画」である。
 長いおつきあいの中、あれやこれや都と区の挾間にありながらも、個々の熱心な職員との信頼関係も築き、こいつらやっぱり新宿区の職員だと感服し、やっとこれからと思っていたにも関わらず、これはあまりにもである。ここに正直に告白しますが、私やけ酒を呑みました。
 なんだ、そんな事云うてもNPOなんだとお前らの仲間も委員として策定に入っているじゃねえかと云われそうであるが、まったくその通りなので反省致します。ある多忙な委員は「推進計画」に書かれてある目玉事業の「拠点相談」が福祉事務所の裏側の目立たぬ所に設置されたのを受け、そのお披露目会で「なんだ。新宿駅のまん中に作るのかと思っていた!」と言ったとか言わなかったとか。委員なんてのはそんなもので、責任はやはり取れない。まんまと嵌められた格好である。  確かに新宿区に与えられた権限と云うものは23区対策として実施されている自立支援事業に関しては少ない。また区民感情としてもホームレスにお金を使うよりも、近くの公園の遊具を直してもらいたいのが本音なのも知れない。区政としても被害者意識を全面に出して、他の行政機関にゲタを預けた方がよほど楽であろう。しかしながら、そんな区ばかりであったからこそ、東京の路上生活者対策は遅れに遅れたのも事実である。
 前区長は路上生活者は「経済難民」であると、この問題が都市問題になりつつあった頃先駆的な見解を記者会見で披露した事がある。関わりたろうが、関わりたくなかろうが、都市の難民として発生した問題に真摯に向き合うべきであり、それこそが都政であり区政であると、恐らく前区長は言いたかったのではなかろうか。
 新宿区、中でも福祉事務所は権限があろうがなかろうが少なくともこの問題に真剣に取り組んで来た。医療単給なんて云う、どこの福祉事務所からも批判されるような生活保護のぶつ切りも、「必要なんだから」と平気でやり抜いて来た。山谷の社会資源にも注目をし、区内のドヤでキャパが足りなくなると区外保護と云う奥の手まで出してドヤ保護に取り組んで来た。越冬対策など冬季の無料宿泊事業も「ニーズがあるんだ」と、どこの区より積極的に枠の確保を行って来た。その他、細かな事を云えば数限りない先駆性を見せて来たのが新宿区のこの問題に対する「体質」であった。
 それが次第に冷め、優柔不断な新宿区の姿になったのは、ここ数年の事であろうか。時期尚早と東京都と対立していた地域生活移行支援事業が成功し、中央公園、戸山公園でのテント数が激減し、今冬の概数調査では渋谷区よりも少ない数となり、まあ経緯はともかく新宿区の努力のお陰で路上生活者が減った事だけで何故か満足してしまっている。
 ここでも同じなのであるが、総括をしないのである。ならば、どうしたら尚一層よくなるのかと言う事を考えないのである。「拠点相談」を皮肉って、「相談して良くなるのだったら、とっくのとうに新宿区からホームレスなどいなくなってるわい」と言っているのであるが、この二年間の総括が「拠点相談」であるとすれば、それこそ笑い者である。一気呵成にやろうと云う意欲がないのである。「目的をもった生活を築こうと」自分達ではクライアントに言っているにもかかわらず、その自分達が「目的」もなく「やる気」もないのである。残念ながらこの行政機関にはカウンセリングと現実的目標が必要なのである。「昔はあれだけやれたじゃないの、こんなところでダラダラしてないで、もう一度自信を持ちなさい…」。


 今ではあまり知られていないが、自立支援センターは実は二度(正確に言えば三度)の実験的な試みがあって、はじめてこれだけの仕組みを手に入れる事が出来たものである。
 その経緯には長い年月がかけられてしまったものの、路上生活者への就労支援と云うカテゴリーはある意味、かなり確立して来たと云える。景気の低迷の中でこれまでは華々しい成果と云う程ではないが、何せ基礎がしっかりしているのであるから、今後景気動向が改善に向かう中で、しっかりとした支援がそこでは行われるであろう。そして、景気動向が見えて来たからこそ、就労支援に今こそ力を入れる時でもある。

   他方で、今、一番立ち後れている施策が住宅や住み家をめぐる諸施策である。
 今後路上から想定される基本ニーズ(今も多くあるが)は何かと云えば、「低位の仕事なら転職を続けながらでもある、そこそこの収入なら稼げる、ただしこれだけ高い家賃では生活がなりたたない」と云う声であろう。
 これに対峙するものが高い意味での「就労自立」であるならば、行政はそう云う仕事を率先して開拓すべきであろう。しかし、それは労働市場の意思からは完全に反する夢物語である。
 だったら、そんな高い家賃相場の東京を離れて地方に行きなさいと云うのも一つの対応である。けれど地方に行ったとしても、今度は東京より仕事の幅は少ない。夢破れ戻ってくるのが関の山であろう。

 低家賃住宅制度は公営住宅もしかりであるが、特別区では天災等被災にあった家族等への低額な宿泊所と云うものも、数は少ないものの保有している。今では信じられない事ではあるが、そもそも宿泊所は生活保護世帯の中間施設ではなく、住宅困窮者に対する施策が出発点であり、法律にも「無料もしくは低額」と書いてある。「何が低額だ!」と入居者からは怒られそうであるが、ここら辺もそろそろメスを入れ整理する必要があるのではなかろうか。
 都営住宅の入居資格は「都内に住んでいること」「住宅に困っていること」「所得が定められた基準以内であること」であり、多くの自立支援センター卒業生や地域生活移行支援事業利用者、また現に路上にいる者も対象になりそうであるが、そもそも募集が少なく圧倒的な激レースになる上、3年以上東京に住んでいた事を証明する住民票が必要、しかも単身の場合の入居資格年齢がいつの間にか50歳以上から60歳以上に引き上げられてと、「何を考えているのだね」と云う体たらくである。路上生活者問題を取り扱う者達から最も注目されていない住宅行政は、それを良い事に「住宅に困っている」最たる人々に対して門戸を閉鎖し続けている。
 公営住宅法の文言だけとらえれば、何も公営住宅は、地方自治体が建設したものだけに限らず、「地方公共団体が、建設、買取り又は借上げを行い、低額所得者に賃貸し、又は転貸するための住宅及びその附帯施設で、この法律の規定による国の補助に係るものをいう。」(公営住宅法第2条2項)のだそうである。だとすれば、地域生活移行支援事業で東京都が借り上げた住宅は「公営住宅」となり得るのではなかろうかとの期待も生まれる。 もちろん現時点では法に定めた収入申告に基づく家賃の決定などしておらず未整備な点も多いが、法の趣旨からすればこれこそ「社会福祉の増進」と云えるのではなかろうか。
 新たに公営住宅を建設せよと云うのは、スローガンとしては良いかも知れぬが、あまりにも大きな課題すぎて何とも現実味はない。他方で既に実施され、効果があがっているものに対して、既存の法律をかぶせていく事は、制度の安定化のためにも必要な事であり、説得力もある。運動の観点から云っても、この住宅運動の主体は既に不安定な低家賃住宅制度の利用者がおり、これまた現実的な要求になり得る。

  路上生活者問題の「最後の仕上げ」(施策的な意味)は、まさにこの点に絞り込まれて来るのではなかろうかと、長年の感はうずうずとしているのである。
 未だに生保だ就労だ云うているのは悪くはないが、東京の地での大きな実験場と考える時、先を見通した戦略もまた必要になって来る。  施策の揺り戻しと云うのは、これはしちゃあかんと云う最たるものである。しかし、放っておけば、高い「就労自立」しか掲げられない自立支援センターは変わらないだろうし、地域生活移行支援事業も期限が来たから「はいさようなら」になりなねない。新宿区も逃げの一手で福祉も今以上悪くなるかも知れない。施策と路上と云う狭い世界をひたすら循環する人々の層を作りあげるだけの成果しかないなんて云ったら、それこそ何やってたのかと云う世界である。役人は責任取らなくても良いのだろうが、翻弄される者の気分にもなってみろである。

 中央公園にまた立ちながら、テントを作るなんて事が金輪際ないよう願いたいものである。

(了)

(2006年「シェルタレス」記載)