「ホームレス問題に関する政策提言 2000」
貧しき民の大連合(事務局・新宿連絡会)
注・貧しき民の大連合は2000年秋の国会闘争を
たたかうためだけに組織された連合体です。
一、はじめに
私達は東京新宿を筆頭とした各地において日雇労働者、都市雑業労働者、「路上生活者」、生活保護受給者などこの社会の底辺部に組み込まれた人々の生活向上、権利獲得を求め、生活、労働、医療相談事業や炊き出し事業などを民間の力のみで行なうと共に、東京都や市区行政機関との様々な交渉を多くの貧しき人々と共に行なってきました。
「バブル崩壊」「長期不況」「産業構造改革」「リストラ」「失業」「倒産」これらの言葉に象徴される今日の社会経済的変化は私達が長年活動をしている社会の底辺部においても激震とも言える大きな変動をもたらしました。山谷、高田馬場など「寄せ場」と呼ばれている日雇労働市場は極端に冷え込み、日雇労働や飯場での契約労働に従事していた多くの人々(とりわけ中高年齢者)は一挙に長期失業、長期半失業を余儀なくされました。また、所謂「負け組」中小零細企業の工場やサービス業の倒産や合理化によりかつては都市産業の底部で汗水流し働き続けてきた人々もまた同様の憂き目にあっています。
私達をめぐる現状は、これら社会経済的な激変が単に職を無くすというに止まりません。退職金も一時金もなく、また無保険の職場が圧倒的と、相対的に無権利状態に置かれていた関係上、失業後には極端に経済的に逼迫させられ再就職の資金すらも持てず、また、住み込み、飯場、簡易宿泊所、低家賃アパートと不安定な居所に住まざるを得なかった関係上、それまでの居所をすぐに失い易く、頼るべき親族や友人などが不幸にしていない人々は、「路上生活者」など、いわゆる住所不定の生活を余儀なくされています。「路上生活者」の数は行政統計でも確認出来る通りこの近年急増しています。それは大都市部のみならず大都市の近郊都市などにも波及している所です。
もちろん、これら社会の目につく形で窮乏生活を送らざるを得ない人々は氷山の一角であります。友人知人の家々を転々とする人々、夜は映画館や喫茶店で睡眠を取る人々、車を寝泊まりの場所とする人々の姿も私達は目の当たりにしています。また、仕事が途切れれば即「路上生活」をせざるを得ない不安定な簡易旅館住まいの日雇労働者、同様の立場である建設現場での飯場労働者など住込み従業員の不安の声も数限り無く聴いています。また簡易旅館に住み続ける生活保護世帯、低家賃アパートに住む年金生活者など、この社会の底部で辛うじての生活を送っている人々の窮状も私達は知っています。
居所がない、もしくは不安定な居所しかもてない人々は、同時に職がない、もしくは不安定な職しかもてない人々と重なり合い、総じて都市における貧民層を今、大きな層として形作っています。
私達はこれらの人々を社会から排除するのではなく、これらの人々もまた社会の構成員であるという観点から、これらの人々の窮状を見つめ、ニーズを把握しながら当事者の能力を活かした社会的な支えを構築していくことが必要であると主張し、自ら民間の力を発揮すると同時に地方自治体との交渉を行なって来ました。 その力は「路上生活者」への自立支援センターの開設、生活保護受給者への更生施設の増設、緊急雇用対策での「路上生活者」、日雇労働者のなどの公的就労など、一定の行政施策の中で反映はされています。が、それは全体からすればやはり雀の涙程度の対策でしかなく、また、地方自治体もこれら貧しき人々の権利を守るという発想が乏しく、どちらかと言うと「お荷物」としてしか見ようしません。
翻って、何故、「路上生活者」の諸問題に象徴されるような現実、すなわち貧民は貧民のまま一生過ごさなければならないような状態にこの国は至ってしまったのでしょうか?かつては貧しいなりに明日への希望をもちながら生きられました。けれど、今の時代は貧しいのがいかにも罪であるかの如き風潮の中、私達の仲間、友人達は肩身の狭い思いをしながら、ひっそりと暮らさざるを得ません。
私達市井の者は政治の多くを良くは知りません。この国がいかなる方向に進むかよりも、今日一日の飯と今晩の寝床の心配の方がより重要なのです。しかし、私達の仲間、友人の窮乏した現状を見る時、この国の政治が国民のどの方向に向いているのか疑問を持たざるを得ません。何故、今日の社会は貧しい人々を貧しいままに固定化したままなのでしょうか? 何故、ここからやり直そうと思ってもやり直しのきかない社会なのでしょうか?「路上生活」をしている、していたというだけで、職場から首を切られる、アパートも借りられない、そんな実態を私達は嫌と言う程見て来ました。人は「努力をしないからだ」と言います。が、その努力を精一杯したとしてもこの通りなのです。何故、貧しいからといって私達の仲間は差別され排除されなければならないのでしょうか?ようやく敷居の高い役所に相談に行っても私達が大声を出さなければ当たり前の事も当たり前のようにやらないのは一体何故なのでしょうか? 私達にももちろん人格はあります。人間としての尊厳もあります。私達は社会から排除されて当たり前のゴミではありません。虫ケラでもありません。私達は貧しいながらも明日への希望をもってこの社会の中で生きていきたいのです。明日は路上死しか選択肢がない世の中では暮らしたくはないのです。 「効率化」を追求する今の世の中で社会階層から「転落」の道を作るのは簡単です。人は社会の絆を失えばどこまでもまっしぐらに墜ちて行きます。私達の仲間には高学歴の人々もいます。高収入であった人々もいます。中小企業の社長であった人々もいます。しかし、一般の市民生活を送っていたとしても、なんらかの失敗や不幸が重なれば、いとも簡単に貧しき人々の層に転落し、「路上生活」を余儀なくされ、挙げ句の果ては路上死を余儀なくされます。 その道筋が「自業自得」で仕方がないと言い切れるでしょうか。私達が社会に、そして今日の政治に怒りをもつのは、これだけの多くの貧しい人々を作りだしたことではなく、その貧困には底がない事、そして、その貧困から抜け出す方途が社会的にほとんどない事にあります。転落への道はいくらでも自由にありながらも、上昇する道は純粋個人の精一杯の「努力」か「運」しかないのです。そこに社会的な支えすらないのは、どう考えても不自然極まりません。
セイフティネットなどと近年盛んに言われていますが、そもそも社会福祉、社会保障が充実している、と豪語されていたこの国で何故今日これだけの貧困層が生み出されるのでしょうか。
私達はこの現状は、政治の視点が、社会の視点が、貧しき人々にまで届いていなかった結果であると考えます。もちろん、私達は貧しいからと言って下手な同情をされたくはありません。かつての手法のように所得保障で何でも解決される問題だとも思っていませんし、それを全面的に国に要求するものでもありません。私達の願いは、私達貧しき民も社会の構成員であることをまずは認めてもらいたいのであります。そして、その上で私達の能力、努力を社会の発展に貢献出来るような社会的な仕組みを作ってもらいただけです。
私達の現状をここまで悲惨なものにした責任はまさに今日の政治にあると私達は考えざるを得ません。奪われなくてもよい仲間の尊い命が奪われた事を私達は決して忘れることは出来ません。たとえそれが痩せ細った決して綺麗ではない死体であったとしても、私達はそれらの人々が精一杯社会の底辺で生きて来た証しを忘れはしません。
私達の仲間、とりわけ住所不定となった人々は地方自治体から「正当な住民」として認識されていません。住民としての諸権利は奪われたままです。 国の国民に対する責任を放棄し、見て見ぬふりをし地方自治体に任せてばかりの結果が「路上生活者」の増大と路上死の急増です。
政府の、国家の基本的な政策がなく、財政的な基盤がなくして、地方自治体に一体どれだけの事が出来るでしょうか?地域エゴに基づく強制排除を繰り返し、ようやく自立支援センター設置を決定しながらも人権問題と排除思想の狭間を右往左往している東京の例を見てもその例証は出来ると考えます。
貧しき人々の現状を固定化し、私達の仲間を路上に放置し、路上死を強いてきた政府に私達は怒りをぶつけます。
二、基本政策確立のための観点
昨年、「ホームレス問題連絡会議」の発足以来、「路上生活者」への対策、対応レベルでの論議がようやく中央省庁によって開始されました。また、社会学や社会福祉の観点から「路上生活者」の実態調査、分析と対策に関して様々な報告書や意見書が官民から発表されています。 国政レベルにおいて「ホームレス問題連絡会議」の発足と「ホームレス問題に対する当面の対応策について」の確定という形でようやく今日的な貧しき人々に対する政策論議が開始された事自体は評価できますが、その「当面の対応策」で表明されている基本的対策の観点は何ら評価出来ないものであります。
「当面の対応策」の基本的な観点は「ホームレス」の「社会的な自立」を強調しながら「路上生活者」を生み出した国の責任、および現行の社会政策の不備については何ら言及していません。何故、今日ホームレスが社会的に排除(主要には諸権利からの排除)させられているのか、何故、ホームレスがホームレスのまま固定化されているのか、このことについての言及が無い所では所詮、現象面を糊塗する対応策、弥縫策しか出て来ないのは必然であります。現象面を糊塗するための対応であることを端的に示したものこそ、「対応策」で示されている3TYPE分類であります。「ニーズの的確な把握」と言いながらも、結論が先にありきと、「失業者」、「保護必要者」、「社会生活を拒否する者」と恣意的に分類して施策に当てはめる短絡した発想がどこから生まれて来るのでしょうか?それは、まさに「地域住民の良好な環境」を優先させ、「路上生活」を「社会悪」ととらえ、その一方的な解消しか頭にない、極めて役人的な「木を見て森を見ない」発想を根拠としていると思われます。「当面の対応策」は全体としては綺麗事を羅列してあり、底辺の人々の現状を良く知らないマスコミや学者には評価される内容であったとしても、私達の目からは到底容認できない代物でしかありません。
更に付け加えるならば、政府の施策では「ホームレス」という世界共通用語を使いながらも国際的に共通認識である、「社会的な排除により住所不定、住宅不安定状態になっている人々」という概念を採用せず、言うなれば「ありのままの路上生活者」を「ホームレス」としている点は、今後の総合施策の大きな足枷になる可能性があります。すなわち、政府のこの観点では、低所得、スキル不足、失業、家族の崩壊、健康の悪化などで、劣悪な住宅環境の中で暮らさざるを得ない人々を政策的に排除し、「潜在的な路上生活者」として社会の底部に温存させる危険性があります。いくら「路上生活者」への対応を拡大したとしても転落への予防策がなければ、これらの人々は次々と「路上生活」へと至ります。「問題現象」の対応策という発想では結局、抜本的な問題把握には至らず、「対応」レベルの施策に永遠と税金を注ぎこむだけで、現在問題になっている公共事業よろしく、施設管理を請け負う社会福祉法人やNPO法人の行政依存体質を温存させる結果しか生み出されません。
このように政府、中央省庁が打ち出した「ホームレス対策」は、何らの国の責任も明記せず、また社会政策上の問題にすることなく、ただ現象面を糊塗するだけの対応レベルでしかない事に私達は強い不満と怒りを感じています。「路上生活」をしているという現象だけが問題ならば、その解消は「路上生活」に代わる、居所を提供すれば事足りる問題です。しかし、それだけの問題ではないという言うのなら、対応レベルではなく、もっと対象を広げた本質的かつ抜本的な社会政策レベルでの施策が必要であると私達は考えます。
私達の問題とは、私達が「路上生活」を余儀なくされている事だけに収斂される問題ではありません。それは不幸な転落の末、悲劇的に突出した象徴的現象でしかないからです。問題とされるべきは、この現象が固定化され歯止めがかからず進行していること、そして、そこから脱する術、機会が社会的に作られていないことこそが問題なのです(墜ちる事は自由なれどそこから這い上がることは不自由である現実)。政治とは、その本質を見極め、大局的な観点でそれを是正していく事ではないでしょうか。
少なくとも政府が「ホームレス」という用語を使う以上、「ホームレス対策」とは、今公園や河川敷にいる「路上生活者」だけに限定した対策ではなく、現に「路上生活」を余儀なくされている人々は当然ながら、住むことが許されていない場所に生活せざるを得ない人々、屋根があってもそこに継続的に住むことが不可能な人々や、失業や貧困や家庭崩壊、多重債務などのため路上生活になる可能性を現に有している人々などを網羅する、都市に住む貧しき人々の貧困を最小限に食い止め、また、社会参加を促し、安定した就労自立を促すなどの目的をもった総合的な政策であることが求められているのではないでしょうか。この観点があってこそ、現に今「路上生活」を余儀なくされている人々への対応策が初めて生かされてくるものであると考えます。
そして、その政策上の基本思想は「路上生活者」であったとしても、日雇労働者であったとしても、都市雑業者であったとしても、その居住形態や職業形態に偏見を持ち込まず、それらの人々の人格、人権をまずは社会的に認める事にあると考えます。 学者や行政がよかれと思う事を押しつけようとしても、当人達の理解と協力がない所では、何らその人々の生活改善や就労自立には役に立ちません。人格、人権を認めるというのは、何も言葉だけの啓蒙ではありません。当人達がこれからどう生きようとしているかを真剣に耳を傾け、そのニーズに即した様々な機会を選択肢可能な範囲でいくつも段階的に提供し、そして、当人の努力と意欲を最大限に発揮できるよう社会が支えて行く事。もう一度やり直すチャンスを、いうなれば「敗者復活システム」を構築して行く事。このことの社会的な実践が貧しき人々の人格、人権を守るという事なのだと考えます。
「路上生活」でなければ何でも良い。住民の環境を害さなければ何でも良い。日雇い、雑業などでなければどんな仕事でも良い、という短絡した発想に立った時、当人たちの人格、人権は完全に否定されてしまいます。現象形態が問題なのではなく、その形態を強いられ続け、そこから脱する機会すら奪われている事こそが社会的問題なのであり、そのことこそを改善しなければ、永遠に現象面はくり返されるでしょう。
三、私達の主張と政策提言
「路上生活者」の増加に象徴される貧しき人々の増加は、この国の社会福祉制度や社会保障制度が相対的に機能しなくなった事を如実に示しています。一部の人々とは言え、全国で二万と言われる「路上生活者」の数はその動かし難い事実を物語っています。 もはや私達が活動の基盤とする社会の底辺で暮らす人々の実感として国・行政が「健康で文化的な最低限度の生活水準」を完全に守ってくれると考えている人々はまずいません。生活保護制度なり老人福祉制度なり年金制度なり、これら既存の制度で辛うじての生活すら守れないからこそ、これらの制度が機能していないが故に、私達の仲間の多くは「路上生活」に至り、たとえそこまで至らなくても極貧の生活を余儀なくされているからです。
たとえば、失業を余儀なくされ、再就職が長引くとします。雇用保険に未加入もしくは、雇用保険も切れ、貯蓄もなくなるとすれば、生活水準は必然と低下しなければならなくなります。家族も崩壊し、単身でアパート住まいをしたとしても、現状の中高年齢者の雇用難から、給与水準を下げたパート仕事なども少なくかつ不安定で、継続しない。そんな中、家賃すら払えず、その生活すら維持できなくなったらどうなるのか?民生委員が支えてくれるのか?否です。福祉事務所に駆け込めば生活保護が適用され所得保障がなされるのか?これも否です。「稼働能力のある人は福祉の対象ではありません」と相談にも乗ってはくれません。大家の執拗な立ち退き命令に屈し、着の身着のまま、その人は宿なし、住所不定として生きていかなければならなくなります。 解雇であるとか倒産であるとか、本人の問題以外において突然躍起した「不幸」の発生は、即座に転落への道を準備します。これへの社会的な安全網は、まったくない訳ではないものの、極めて個人任せ、「運」任せです。
ホームレスはこの国にたまたま発生した問題などではなく、同様の事例が80年以降、他の先進諸国でも問題化してきた通り、戦後期に培って来た社会保障などの諸制度の機能不全がもたらした犠牲者であります。終身雇用制が終焉に近付き、フロー化された労働市場が産業から求められている今日、それに対応できない人々を切り捨て、放置しているのが、今日のわが国の制度であり、政策であります。
私達は、もはや、既存の制度(とりわけ生活保護法制度)を多少改善させていくレベルにおいては、もはやこの事態には対応できないのではないかと考えます。現在、地方自治体においては、生活保護適用の他、応急施策として単独事業の「路上生活者対策」として冬期の短期宿泊事業、法外援護によるカンパンなどの支給が行なわれていますが、どれも法的な裏付けがなく単年度予算でやりくりしている関係上、規模が小さく、限定的でしかありません。本年から開始される自立支援事業にしても国の補助金はありながらも、基本的に同様であり、この事業が現行の法体系の中でどのような位置をもつのかすら曖昧なまま進行しようとしています。生活保護適用も、法外援護などの応急施策も、基本理念のない中で無計画的に行われている関係上、地方自治体の財政をかなり圧迫する結果となっています。
私達はホームレス問題に関する政策の基本理念を国がまずはもつべきだろうと考えます。その上で現象面を糊塗する目的だけではないホームレスの社会参加を促す現実的、計画的な支援策を国と地方自治体が協力しながら実施すべきだろうと考えます。政府が「ホームレス対策」というのなら、その概念を国際概念に準じて広げ(正しく使い)、都市において窮乏の度合いを深めている全ての既存の法制度から排除させられた貧困層を対象とするべきだと私達は考えます。そして政府の責任と目標を明記し、優先的に現に「路上生活」を余儀なくされた人々への支援策を強化すると同時に、多くのホームレス(「路上生活者」「潜在的路上生活者」を含む貧しき人々)がこの社会から再び排除されない事を理念としたホームレス支援基本法の制定を求めます。また、政府が自立支援と言うのなら、就労自立を望む人々の人格、人権を守り、そのニーズに即した、単に形だけの事業ではない、本当に事業に参加しやり直しの効く事業を求めると同時に、自立支援事業の対象者を「路上生活者」を優先させても、それに限定せず、より広い人々を対象とし、かつ法制度化をおこない予算的な措置を行なうことを求めます。
(1)ホームレス支援基本法の制定を!
「 路上生活者」の数が増大すると同時に、不安定な住居に住まわざるを得ない人々が同時に増え続けている現実の問題は、行政府の長たる政府がこの問題を政治の問題として直視せず、放置してきた事に最大の責任があります。市場を重視した経済・社会構造改革を行ない、産業の効率化を計ってきた負の側面として、失業者、半失業者の中でも身よりがない、技能がないなどハンディキャップを背負った人々の失業状態を長期化させ、居所も失わせる人々を生み出し、それを放置、固定化させてきた事の責任は大きいと考えます。
まず、このことを認識し、国の政策として、住居を完全に失った「路上生活者」の就労自立、そして安定した住居の確保を最大限支援する事、また、「路上生活」状態にいつなってもおかしくない貧しき人々の不安定な居住地を無闇に失わせない事、安定した居住への移転を保障する事を柱とする基本理念を作り出していかなければならないと私達は考えます。 そのために、私達は国にホームレス支援基本法の制定を求めます。
現在、貧民層を含めたホームレス状態の人々を一括して取り扱う法律はありません。個別法制度の枠組みの中でしか政策的に対象化されず、また運用、対応もバラバラです。ホームレスであるというだけでは施策の対象とはなりません。
確かに、ホームレス問題は複雑な要素を孕んでおり、多種多様な支援策が必要なのは言うまでもありません。が、それを一括して責任をもって対応する部署すらない中、当の当事者達は行政へ勇気を出して相談に行ったとしてもタライ回しを強制され、しかもそこで差別的な言辞を投げ付けられるなどして行政に対する根底的な不信感を強めています。どの地方自治体も、政府も総合的な対策が必要と言いながらも責任を持った部署すら置かずに、調整役に甘んじているのが今の対策の現状です。また、地方自治体の中には対策と引き換えに一方的な強制排除を行なうなど、人権無視の施策を「対策」という美名の下に行なっています。地方自治体はその性格上、先住地域住民サイドの排除意識や偏見に偏り易いことは言うまでもありません。これら末端行政の貧しき人々への人格を無視した対応は、今日の若者による「路上生活者」襲撃事件の続発と決して無関係ではないと考えます。
これらの弊害を排し、「路上生活者」も日雇労働者も都市雑業者も家がなかろうと、貧しかろうとも社会の一員であり、その人々の人格、人権を守り、そこからやり直したいと考える人々がいるなら、その人々にやり直しの効くチャンスを社会的に与えていく事こそ社会の義務だと国の指針として明確に謳いあげる必要があると考えます。
私達が考えるホームレス支援基本法は、この理念、指針を明確に明記したものです。ここで言うホームレスは社会通念として認められる住居で生活できない個人や家族、及び、失業、貧困のため近い将来住居を失う恐れのある人々を合わせた総称です。
このホームレスの人々の人権を守り、自立に向けた能力を開発し、貧しいながらも社会の一員として排除されずに暮らして行ける条件を社会的に作る事をこの法律の目的としなければならないと考えます。
そのために、政府はホームレス問題に関する総合政策を確立し、責任部署、責任体制を地方自治体と合同で作り、全国的な対策の目標と執行を決定、点検するシステムを作ることが求められています。国の責任と指針と体制を明確にしたこの基本法のもとで、ホームレスの支援事業は全国的に実施されなければならないだろうと考えます。
次に、私達は新規ホームレス支援事業として、雇用確保、住宅保障、生活保護、市民的権利の保障を四本柱とした自立支援事業関連法を制定することを提案します。
(2)雇用確保と就労機会の保障を!自立支援事業関連法の制定を!
職を失った人々への雇用確保についての諸施策は、雇用保険法や関連事業、及び昨今の緊急雇用対策などで行なっていますが、いずれも一般対策として行なわれている関係上、現に家を失うまでに困窮している人々には重点的に施策化されてはいません。またこれら施策の実際の効果は現在の高い水準の失業率に現われているよう、さほどの効果もないようです。安易な企業リストラを奨励する経済政策を行っている政府であれば、そのリストラの結果、職を失った人々、とりわけても、再就職が難しい中高年齢層の人々、また無技能者、低所得者などの雇用確保は重点的にやらなければならない政策であると考えます。求人での年齢差別の禁止、雇用保険被保険者に限らない中高年齢者の能力開発のための職業訓練や技能資格取得促進事業、雇用保険・失業給付の延長措置、創業支援のための融資制度、公的関与による雇用創出の拡大などが求められています。
また、日雇労働者の雇用確保策として「寄せ場」の労働出張所などで様々な公的就労事業や日雇労働奨励金制度が行われていますが、日雇市場の冷え込みの中、就労希望者が殺到し、生活の安定どころか、月に二、三度のアルバイト仕事でしかないのが実態です。日雇労働者の当面の生活を安定させていくため、これら公的な雇用創出を緊急施策として行うと同時に、雇用保険の受給資格用要件の緩和、パート、臨時、派遣労働者の権利保障の明確化などが検討されるべきだと考えます。
これらの雇用確保策をとりわけ再就職の機会が少ない人々に重点的に配置すると共に、失業などを理由とした経済的貧困の度合いが現に居所を失う、もしくは住宅不安にまで至った人々には、社会政策を加味した特別の就労機会を提供する施策が必要ではないかと私達は考えます。
現在、「路上生活者」を対象とした自立支援センター設置が政府の「ホームレス対策」の柱として実施段階に入っています。私達は、箱物としてのセンターに注目するのではなく、事業としての自立支援事業を雇用確保、住宅保障、生活保護、市民的権利の保障を含めた、ホームレス(貧しき人々)の自立の機会を保障していく総合的な施策にしていく必要があると考えます。私達はホームレス(貧しき人々)を対象とした自立支援事業を法制度化し、とりわけ雇用対策と連携した本格的な政策を重点的に行なうことを求めます。
現行計画の自立支援事業そのものは、私達の考える自立支援事業とはかなりの隔たりがあります。 現行計画事業の不備を指摘すれば、
一、法的な位置付けを有していない事
二、事業規模が小さい事
三、対象を「路上生活者」に限定している事
四、雇用確保策との連携が取られていない事。
五、住宅保障策との連携が取られていない事。
六、事業内容が画一的である事。
などが上げられます。
昨今の先進諸国の福祉政策は国際的には「福祉から労働へ(Welfare to Work)」と言われているよう、旧来の所得補助型の方法ではなく、能力開発を軸とした自立支援策に福祉施策の重点を移すのが趨勢となっております。我が国の福祉政策がどのような方向で進むのかは、あまり明確になっていませんが、少なくとも現行計画の自立支援事業は、端的に言えば、施設に3ヶ月ないしは6ヶ月収容し、その間に自分の力で職安などに通い、何でも良いから仕事を探せという事業であり、この事業の中で能力開発を重点にしながら就労機会を様々作りあげようと言う観点は極めて弱いと言わざるを得ません。単に施設に収容すれば自然と就労自立が可能かのような勝手な思い込みをもった事業であるなら、これでは先が思い遣られます。私達は東京都の自立支援事業の暫定的な試行実施にある程度参画してきた経験上、国が考えているレベルの事業ではまったく利用者のニーズに行き届かないことは明白であると断言出来ます。このままでは「路上生活者」を再生産する事業にしかなりません。
私達は自立支援事業には長期コース、短期コースを含め、その人の能力差、様々な事情、生い立ちなどを考慮した選択肢可能な多岐にわたるプログラムが必要であると考えます。そして、自立支援事業は施設に入所することを前提化する事なく、「路上生活」のままでも(雑業仕事をしているなど生活だけは自前の力で何とか維持していけるような人々や施設入所に抵抗がある人々)、もしくは簡易旅館に泊まりながら(そこで辛うじての生活している日雇労働者や生活保護受給者)、もしくは低家賃アパートに住みながら(そこで辛うじての生活している失業者など)も通いながら事業に参加出来るシステムを作るべきだろうと考えます。その場合、施設は宿泊所の設備を合わせ持った事業センターの位置をもちます。 事業に参画する資格のある者は、当面は「路上生活者」を優先させたとしても、その人々のみならず、ツテや技能などがなく、経済的な理由で自前での就職活動が困難な貧しき人々を排除することなく広く対象とする必要があると考えます。そうする事で、本事業で再就職しても解雇される、もしくは様々な理由で再び失業生活を余儀なくされた人々が再び「路上生活」に戻らないための予防策にもなります。
プログラム的には、技能の教育、基礎訓練、短期的な研修などの機会を提供することは無技能者が再就職する上での必須の課題であり、これを政策的に導入する必要があります(現行事業においてはこの肝心な事がまったく考えられていない)。これをしなければ、全ての利用者が結局不安的な職場を行ったり来たりと悪しき循環構造となる事が容易に予想されます。そしてこの事業の最も重要な点は就職相談員、アドバイザーが十分に配置されている事であります。再就職へ向けたプログラムを共同で作成し、その実践を点検、時には軌道修正するなど、事業を受ける人々を励まし続けられる同じ視線をもった相談員が多く配置されている事が理想です。もちろん事業を受ける人々のそれぞれの人生観は違うことを前提にします。不安定な職場で賃金が安く生活は貧しかろうとも、とにかく自分の力で飯を食っていきたいと願う人々を排除してしまったら仕方ありません。たとえば年金をもらうために後何年働く必要があるのかを提示し、また、低家賃住宅を斡旋しと、先の見通しをもったアドバイスをする中で、働く意欲と生きる意欲も沸いてくるのです。ですから個々人違う人生観にあった就労自立の仕方をプログラミングする必要があるでしょう。施設に入り、体を休め、自分にあった仕事を探す人もいるでしょう、もしくは、職業訓練をしながら安定した仕事を希望する人もいるでしょう。また、ある人は「路上生活」しながらセンターに通い就労先を見つけ、金を溜め自力でアパートを借りられる人もいるでしょう。また、失業中の低家賃アパート在住者がセンターに通い、就労先を見つけ、滞納していた家賃が払えるようになるなら、わざわざ施設を提供することもなく未然に「路上生活」になることを防げるのです。 就労自立というのであれば、仕事に付ける機会をすべからく提供し、かつ職業選択の自由を尊重しながら、就労自立できる環境をこそ作りあげるべきです。とにかく自力で職安に行って仕事を探せという現行の自立支援事業は極めて支援策としては政策的に不親切であり、不十分であります。
このようにホームレス(貧しき人々)に対する雇用確保の政策事業として、自立支援事業を法的に明確に位置付け、事業内容も明確にさせながら行う必要があります。
(3)低家賃住宅の確保を!
「路上生活者」に限らず、不安定な収入しかない人々の住宅事情は必然、不安定、劣悪なものにならざるを得ません。その意味ではある程度安定した就労ないしは収入の確保と、一方的に追い立てられないフォーマルな住宅の確保はセットとして考えられるべきでしょう。居住地を決めてから仕事を探すか、仕事を探してから居住地を決めるかは、人それぞれなのでしょうが、こと自立支援事業に関して言えば、安定した生活の出来る賃金を得るための就労自立が優先されるため、仕事を探してから居住地を決めるという順番にならざるを得ません。と、なると自立支援事業は就職が決まった通勤圏内に住宅が提供できなければ意味がありません。現行案はそこまで具体的に発想がなされているかと言えば、ほとんど何も考えられていないのが現状です。
一般的に都会において住宅事情が極端に悪いこの国では、公的に住宅を保障するという発想が希薄な事もあり、公営住宅も少なく、しかも、都心部の地価が高く再開発などにより低家賃の木造アパートがマンションやビルになりと、たとえいくばくかの収入があったとしても貧しい人々が安定した住宅を見つけることは極めて厳しい現状があります。
自立支援事業でようやく仕事を決めた人々の事を考えてみれば、将来はいざ知らず、就労自立をしたとしても当面は低家賃の住宅に住まなければ貯蓄もたまらず、安定した生活は送れません。自力で低家賃アパートなどを探せというのでしょうが、都市の中に残る民間の木造アパートのようなものは、若年者にはともかく、単身の中高年齢者にはなかなか信用がないということで貸してはもらえません。低所得者向けの公営住宅が都心部において多く建設されれば良いのですが、それもままならないというのであれば、老朽化した木造共同住宅などを公的に借り上げる、もしくは、一定期間の家賃補助、もしくは大家に対する税制優遇策を行なうなどの定住化政策を打たなければ、今日の都市開発の流れの中、貧しい人々が住める場所すらなくなる恐れがあります。住む場所がないから「路上生活者」にならざるを得ないという単純明解な現実を見れば、簡易旅館や社会福祉法人施設のような仮住まいの場所ではなく、地域の中に就労自立を果たした人、もしくは高齢の生活保護受給者、年金生活者など貧しき人々を積極的に定住化させることがいかに大事かが分かると思います。
貧しい人々も安心して暮らせる住宅や地域を何らかの形で政策的に作りだすことを私達は求めます。
自立支援事業で就労した人々の当面の住宅問題に関する課題は、まずは自力で低家賃住宅を確保できる条件作り、敷金礼金など住宅を借りる場合の多額の費用の貸し付け制度、身寄りのない人々に対する賃貸契約時の連帯保証人確保の身元保障制度などです。これらも含め、自立支援事業関連法の中に住宅確保の条件作りと、低家賃住宅の保障を明確に記す必要があるだろうと考えます。
(4)高齢者、病弱者には生活保護の積極的な適応を!
個人の努力、そして他法他施策の活用、能力活用の末、結果として生活困窮状態となれば生活保護により保護が適用されるというのが私達の国の社会通念でもあり、生活保護法の根幹であります。しかし、現状においては他法他施策が極めて少ない事、そして能力活用できる機会すら整っていないことを根拠に、生活保護法の運用は極めて歪んだものとなっています。私達はホームレス(貧しき人々)に対する他法他施策を作り、能力活用の機会を社会的に整えることで生活保護法の運用を本来の姿に戻すことを主張します。
本来、生活保護法と失業対策事業などの公的雇用施策がセットとなり、憲法上も25条の整合性を保ってきました。しかし、失業対策事業の廃止など雇用対策が急激に弱体化したことにより、様々な矛盾が噴出し、結果、福祉行政に全ての負担が押し寄せるという今日の歪んだ現象を作り出しています。都心部においては生活保護行政はもはや限界といえる制度的疲労を向かえております。戦後の一時期のように失業者も含め全ての生活困窮者を生活保護法で救済できないのであれば、早急に雇用確保、住宅保障を軸とした自立支援事業を法制度化し、かつ能力活用の機会を提供すべきだと考えます。
もちろん、その上で、とりわけ病弱者、高齢者、障害者、女性などへの重点的な保護適用は必要不可欠であります。保護基準内でありながら、とりわけ地方都市の実施主体が「路上生活者」を含めた生活困窮者に保護を積極的にかけたがらない理由としては政策の混乱以外に、財政面の負担、および、保護をかけたいのだけれども施設がないという技術的な側面が指摘されています。財政面については「路上生活者」に関して国の保護費費用区分を引き上げるという方法、また、施設不足であるという点については、保護施設設備費の国の費用区分を上げる、もしくは、上記のような住宅政策を徹底する事による居宅保護の積極推進という方法が考えられます。私達は何らかの形で保護を積極的に推進させる施策を求めます。これについては生活保護法を見直すことなく、運用面で十分可能な措置であると考えます。
また、現在生活保護法の関連施策として法外援護という形で福祉事務所において緊急の食料、衣類、交通費の支給などが行なわれています。制度を硬直化させない意味においてもまた、人命尊重の意味においてもこれら緊迫状態の人々に対する応急的な働きかけは極めて重要です。各実施期間が独自の判断で行なっている法外援護については、自立の目的がないといって財政的な支援をしないのではなく、積極的に国も予算措置、補助金を出すことが急務であると考えます。この点については自立支援事業関連法の中に明記する必要があります。
(5)市民的権利の保障を!
ホームレス(貧しき人々)の中でも、とりわけ家を失った人々は、住民票がないなどを理由として選挙権はおろか、多くの各種行政サービスからも排除させられています。これら「 路上生活」の人々、もしくは、不安的な職場を点々とする人々、住民票が設定できない簡易旅館などに住むいわゆる住所不定の人々が、市民的権利が行使できるよう、地域ごとに住民票が仮に置けるシステムが必要ではないかと私達は考えます。住民票を設定できる場所がないために国民健康保険、国民年金の未加入者は増大しており、これを放置しておくことは、当人達の諸権利の問題と同時に生活保護費の増大など明らかに制度の健全化を疎外するものとしてあると考えます。保険料や住民税の徴収、催促など技術的に難しい面はあるとは思いますが、多くの人が出向いていけるような相談施設、デイケアサービス施設(シャワー、洗濯機の使用、衣類提供などのサービスが可能な)を作り、そこに住民票を設定させ、また、そこに各種のサービスを告知させる広報機関、また簡易相談機能を有した施設を作れば現実的にはそれも可能ではないかと考えます。これは自立支援センター施設の内部に併設させる、もしくは、別途に作るなどの方法が考えられます。ホームレス(貧しき人々)の市民的な権利を保障していくために、住民票を設定出来るシステムの導入(施設に入った人だけが住民票を設定できるのではなく、全てのホームレスが設定出来る事がそのステップアップのためにも必要です)を私達は求めます。このシステムを自立支援事業関連法のなかにも取り入れるべきであろうと考えます。
もちろん多重債務者など住所を設定する事により取り立てに迫られ安心した生活が送れないなどのケースにおいては、就労自立後の返済計画をたて債権者との交渉を行う、もしくは破産宣告申請を行うなど専門の職員、弁護士などのアドバイスが加味されなければなりません。また住民票がおけたとしても、たとえば前科前歴をもつ人々や軽度の障害やもつ人々、てんかんなど偏見の残る疾患をかかえる人々など社会的偏見の中で一般就労が難しい人々に対しては、自立支援事業などで長期にわたる就労支援を行う事はもちろんの事、それと同時にそれらの人々が安心して社会の中で暮らせるよう社会に理解を求め、啓発していく必要があると考えます。
「路上生活者であるから、もしくはあったから」、「生活保護世帯であるから」、「貧困であるから」といった故なき理由で就労差別をしたり、居住契約上の差別を受けたり、また、行政サービスも受けられないと云った事態を社会的に無くす事もホームレスの市民的権利を保障する上でことに重要な事であります。
私達は(2)から(5)で包括的に提起したように、雇用確保、住宅保障、生活保護、市民的権利の保障を四本柱とした新規ホームレス支援事業を自立支援事業関連法という一つの法律としてまとめあげ、各種事業を調整し、予算や法的位置付けも明確にし、そのもとで就労自立を重点課題とした自立支援事業を総合的かつ効果的に全国で実施するよう求めます。
四、おわりに
私達は昨年、「路上からの提言1999」(新宿連絡会)を小冊子にまとめ、東京における「路上生活者」の現状とニーズを分析し、また対策上の基本的観点、提言を公に訴え、それをもって現在、東京都行政と交渉をし続けています。もちろん、それが終了したから、今回国へ要望を提出するという段になった訳ではありません。現在も東京都および23区、市部との交渉を続け、よりよい対策を獲得するため粘り強い行動を行なっています。そして、そうであるが故に、この問題は地方自治体レベルでは全て対応できない問題であるという事も認識するに至った訳です。地方自治体レベルにおいては「路上生活者」のみの対策でさえ、遅々として進んでいません。
今、必要な事は、国の大きな課題、とりわけ都市部における大きな政策上の課題であるという認識の下、国が総力をあげて取り組む事にあるだろうと考えます。私達も「ホームレス問題連絡会議」の議論の推移は注目してきました。が、その報告書などを見る限りにおいてはすこぶる落胆せざるを得ないものでした。弥繕策という言葉がありますが、これは、まさに政策の反省もなく、現象を糊塗することのみに終始した、作文にしかすぎません。現場で苦闘を続けている私達や福祉の一線で働く人々からは溜め息すら漏れて来ています。 私達は、東京都でさえより建設的な政策を立案している(実行力は乏しいものの)にもかかわらず、中央省庁および政府がこのレベルとはと、愕然としています。私達はそれが故に、中央省庁に直接訴える事よりも、少なくともまだ良心の残っていると思われる国会において、この問題を真摯に議論し、都市政策として立案の方向に歩み出て欲しいと願うに至りました。役所が真剣に取り組まないことの大きな原因は、基本となる法案すらない、施策が縦割りで調整すらつかないという点にあります。国民的な議論、そして国会での議論と政策立案こそ今の硬直した政府と行政を変える大きな足掛かりになるだろうと私達は信じています。私達はホームレス支援基本法でホームレス問題の基本政策理念を確立し、国の責任を明確にし、縦割りの施策を調整する事、そして自立支援事業関連法を策定し、雇用対策を軸とした自立支援事業をより広く行う事を求めます。無論、この政策提言はそのための議論の素材にすぎず、より良き施策が生み出される限りにおいて、私達は細部の主張に固執するものではありません。
この国で新たな質の貧しき人々の現状が問題化するようになって早10年が経とうとしています。そして新たな世紀が始まろうとしています。勉強や調査はこの数年各界において行なわれてきただろうと考えます。あとはより有効な政策をうつだけであります。 私達の願いは、貧しくともこの社会の中で働きながら暮らしていける世の中、貧しさから脱する機会が与えられる世の中、そして、路上死のない世の中です。
そのための努力を今こそ社会が発揮すべきであろうと考えます。
(2000年9月1日)
(文責・笠井和明)
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